第24番札所 長親山 常念院 西光寺【浄土宗】
【住所】
岡崎市鴨田町向山38-1
【電話番号】
0564-23-2204
【駐車場】
10台
岡崎市鴨田町向山38-1
【電話番号】
0564-23-2204
【駐車場】
10台
第24番札所 長親山 常念院 西光寺【浄土宗】
本尊
- 木造阿弥陀如来坐像
お地蔵さま情報
- 石造六地蔵菩薩像/場所:境内 大衆塚石造阿弥陀如来坐像前
創建
- 応仁元年(1467)
由緒・歴史
応仁元年(1467)、松平氏第4代・親忠と、寺部・伊保・八草・拳母・上野からなる土豪の連合軍が西光寺の辺り(井田、鴨田町界隈)で激しい戦いを繰り広げました(井田野の合戦)。親忠が勝利した後、敵味方にかかわらず戦死者をていねいに葬ったのが「千人塚」です。しかし、周辺ではさまざまな異変が起こりました。夜になると千人塚から鎧や刀を打ち合う音や軍馬のいななき、苦しげなうめき声が聞こえてくるのです。住民たちは恐怖で眠ることもできず、さらに疫病も流行しました。そこで親忠は、拳母(現・豊田市)から勢誉愚底上人を招いて千人塚の近くに念仏堂を建て、上人とともに七日七夜の念仏供養をしたところ、怪異はようやくおさまって疫病も収束したといいます。
親忠は、先祖の加護と仏の恩恵を強く信じて文明7年(1475)に大樹寺を建立し、千人塚のための念仏堂を寺院として整備したのが西光寺です。
見どころ
- 大衆塚/石造阿弥陀如来坐像
本堂の左隣にあります。永禄3年(1560)の桶狭間の戦いの後、徳川軍が大樹寺に逃げ込んだ際、追っ手の織田方と戦って戦死した多くの僧を葬ったもので、石造阿弥陀如来坐像は岡崎市指定文化財です。
- 千人塚
西光寺から50メートルくらい離れた場所にある(看板あり)。応仁元年(1467)の井田野の合戦で戦死した兵を、敵味方の区別なく弔ったもので、岡崎市指定史跡となっています。
- 芭蕉句碑
大衆塚手前にあります。松尾芭蕉が奥の細道を旅した時、平泉で夏草の茂る中に、戦いに消えた兵士をしのんで詠んだ「夏草や 兵どもが ゆめの跡」の句碑が、戦国時代の古戦場であるこの地に建てられました。芭蕉の50回忌に当たる寛保3年(1743)に、有志によって建立されたこの碑は、岡崎市内に8基ある芭蕉句碑の中でも最も古いものです。
参拝記念
御朱印なし
行事
5月第2日曜 | 三十三観音法要 |
春・秋 | 春秋彼岸会 |
8月 | お盆 |
11月23日 | 千人塚供養会 |