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第五番礼所 岡崎天満宮

【住所】
愛知県岡崎市中町北野1

【電話】
0564-21-4345

【駐車場】
20台

祭神

菅原道真公、道臣命(みちおみのみこと)
 

創建

健保5年(1217)
 

由緒・歴史

建保5年(1217)、総持尼寺(現・総持寺)の鎮守、鬼門除けとして道臣命を勧請し、北野庄(現・崎天満宮所在地)に天神社を建立したのが岡崎天満宮の起源と伝えられています。

創建3年前の順徳天皇の時代、宮中に夜な夜な怪しく光る物体が飛来すると皇女が病に伏せるようになりました。宮中警護の武将・本間三郎重光が天皇の命を受け、家来の伴隼人とともにその怪光物を弓で射落とすことに成功しましたが、あやかしの正体である野狐の祟りで皇女の病は重くなるばかりでした。そこで本間三郎重光の領地である三河国菅生郷に野狐の亡骸を送り、野狐の霊を慰めるために稲荷社としておまつりしたところ、皇女の病は癒えて元気になりました。

順徳天皇はたいへん喜んで稲荷社の側に総持尼寺を建立し、皇女みずから尼僧となってこの寺にお入りになったそうです。その後、総持尼寺の鬼門守護として野狐を射落とした弓弦をご神体とし、本間三郎重光の祖神、道臣命を勧請して北野庄(現・岡崎天満宮所在地)に天神社を建立しました。当時は伴天神とか弓弦天神と呼ばれていたそうで、これが岡崎天満宮の始まりと伝えられています。

江戸時代の元禄3年(1690)、江戸亀戸天神の別当職・菅原信祐(すがわらしんゆう)が、大宰府天満宮の飛梅の木で作られた菅公御神像を持って大宰府から江戸へ帰る途中、岡崎本陣中根甚衛門方で宿泊しました。その夜、信祐の枕元に菅原道真公が立って「この岡崎の地に古くからのいいお社がある。そこに私を勧請しなさい」と仰せになりました。宿の主人に夢のことを話すと「それはきっと北野の弓弦天神のことでしょう」と言い、その話を聞きつけた町の人々は大変感激して天神社の社殿を一新して、夢に従って官公御神像を合祀して天神様をおまつりして社名を岡崎天満宮と改めました。

昭和20年(1945)7月20日 の岡崎空襲によって、神楽殿以外の社殿がすべて焼失してしまいました。昭和21年(1946)本殿(仮殿)を新築、神楽殿は移転修復し拝殿とされます。昭和33年(1958)本殿が造営され遷座祭が齋行されました。昭和45年(1970)幣殿・拝殿・神饌所を新築しています。

9月23日から9月26日にかけて行われる例大祭では、両町、中大門、中天神、東中の4町が長持ち唄を歌いながら天満宮まで練り込み行列をし、中大門のみが境内で手筒花火の奉納を行います。

岡崎天満宮の祭神である菅原道真公は、学業成就・入試合格・書道上達・詩歌上達の守り神として、道臣命は病気平癒・厄除開運・交通安全・幼児虫封の守り神として、地域の信仰を集めています。

 
「奇跡の松」
本殿西脇の庭にある松を指します。先々代宮司は「松は我が姿なり、我の至り留まる所必ず松を植ゑむ」と天神様が言われたことを思い出し、岡崎空襲で全焼した境内で「どうか焼跡に松を生やして下さい。そうしたら、一人の協力者が無くとも私一人でお宮の復興をします」と真摯にお祈りしたところ、雪の降る真冬の二月にもかかわらず、翌朝境内一面に松の若芽が生えたことから「奇跡の松」と呼ばれています。
御朱印あり(受付時間 9:00~16:00)
梅の花とウソがデザインされたオリジナル御朱印帳があります。
1月1日 元旦祭
1月25日 初天神祭
2月3日 節分祭(豆撒き)
2月中旬‐3月上旬 梅まつり
3月25日 春季大祭
4月3日 御鍬社祭
5月25日 英霊神社祭
6月29日~6月30日 夏越大祓式
(茅の輪くぐり神事)
9月23日~9月26日 例大祭
11月25日 新嘗祭
12月31日 大晦日の大祓式
毎月25日 月次祭

 
【和菓子】
小野玉川堂
岡崎市伝馬通4-3番地    
電話:0564-22-0412

【おみやげ】
◎[日本酒]丸石醸造株式会社
岡崎市中町6-2-5   
電話:0564-23-3333

◎[呉服]くすや呉服店
岡崎市両町1-10    
電話:0564-22-0236

◎[呉服]大丸屋呉服店
岡崎市両町3-38    
電話:0564-21-0729

 

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