岡崎ってこんなまち Okazaki家康公スイーツ
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徳川家康公を辿るコース ~車でめぐる編①~

徳川家康公を辿るコース ~車でめぐる編①~

音声ガイドを聞きながら岡崎をめぐろう!徳川家康公ゆかりの地をご紹介。めざせ全制覇!

おすすめの季節
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日帰り
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  • 岡崎城
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おかざきじょう

岡崎城

天下を取った家康公の出世パワーにあやかる!
岡崎城は徳川家康公が生まれた城として有名です。

1959年には天守が3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されました。
車で5分
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  • カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
  • カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
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かくきゅーはっちょうみそ(はっちょうみそのさと)

カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)

見て、聞いて、食べて・・・「八丁味噌」を五感で楽しもう♪
味噌蔵や史料館をガイドが案内する無料の工場見学を毎日実施。

味噌の香りただよう蔵には、約2mの大きな味噌桶がずらりと並び、まさに圧巻!

史料館では等身大の人形で八丁味噌の製造工程を紹介している他、江戸時代からの貴重な史料を展示しています。

見学の最後にはお味噌汁の試飲も。



味噌料理が楽しめるお食事処「岡崎カクキュー八丁村」は、窓から熟成中の木桶を見ながらお食事できる唯一の施設です。品揃え豊富な売店も併設しており、味噌ソフトクリームは塩キャラメル風味で大好評です!



カクキューの本社屋や味噌蔵など、レトロでお洒落な写真が撮影できるフォトスポットも盛りだくさん♪

五感で学び、楽しめる「カクキュー八丁味噌」へ、ぜひお越しください♪



<カクキューの歴史>

カクキューの初代当主は元々今川の家臣でしたが、桶狭間の戦いで今川が敗れた後、岡崎の寺へと逃れ、武士をやめて、名を「久右衛門」と改めました。

久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、現在の場所である岡崎市八丁町(旧八丁村)へと移り、1645年に業として八丁味噌を造り始めました。

当主は代々「早川久右衛門」の名を襲名しており、現当主で19代目となります。現在でも、木桶に仕込み、職人が円錐状に石を積み上げ重石とし、二夏二冬(2年以上)長期天然醸造で熟成させる江戸時代初期から続く伝統製法で八丁味噌を造り続けております。
車で1分
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  • まるや八丁味噌
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  • まるや八丁味噌
まるやはっちょうみそ

まるや八丁味噌

創業はなんと1337年!

醸造業からはじめ、江戸時代に始めた味噌作りの伝統製法を守り抜き、八丁味噌を製造しています。

大豆麹を巨大な木桶に仕込み、重石を積み上げて作ります。石積みは熟年の職人技です。

製造所内に流れるゆったりとした時間や香りの中で、歳月を重ねた味噌桶の存在感や天に向って積み上げられた重石の力強さなど、八丁味噌の味噌蔵ならではの風景をお楽しみいただけます。

店内では、八丁味噌を使用したお土産品の販売もおこなっております。
車で8分
4
  • 大林寺
  • 大林寺
  • 大林寺
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だいりんじ

大林寺

1493年、岡崎城主松平信貞によって明大寺町に建立されました。

1530年に家康公の祖父松平清康公が守りの拠点として現在の位置である岡崎城の北に移設したとされています。

江戸時代には、東西130間余、南北100間余、東と南は城内、西は肴町(魚町)、北は木町(材木町)にまでおよぶ広大な境内を有していました。

境内には、松平清康公、広忠公、清康公夫人春姫の墓があるほか、松平氏入城以前の岡崎城主西郷頼嗣、信貞の墓もあります。
車で5分
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  • 松應寺
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しょうおうじ

松應寺

家康公創建、立志開運の地。父君広忠公御廟所には歴代将軍が御参詣
天文18年(1549)3月、岡崎城主松平広忠公は城中で家臣に刺殺され、なきがらは能見ヶ原の月光庵に埋葬されました。同年11月、家康公は今川方の人質として熱田から駿府へおもむく途中、月光庵に参り、その墓上に小松を植え、松平一族の繁栄を祈願しました。

永禄3年(1560)家康公は桶狭間の合戦後、岡崎城主となり、非業の死を遂げた父の菩提のため、月光庵の地に寺を建立しました。

家康公は手植えの松が緑深く伸長したことと、人質の身であった自分が城主として再び三河の地に帰れたことを喜び「我が祈念に応ずる松なり」として寺号を松應寺と名付けました。



“神君”家康公の父君を供養する寺院として、徳川幕府の保護は非常に厚く、広大な寺領を与えられ、寺格の高さを象徴する「常紫衣」の許可も授けられました。広忠公御廟所へは、家康公だけでなく、秀忠公、家光公など歴代将軍が参詣しました。御廟所は、国内有数の格式と規模を誇り、史跡として岡崎市文化財に指定されています。大規模な修復を三年かけて行ない、2022年5月に完成、昔日の荘厳さを取り戻すことができました。



また松應寺の境内は、昭和の時代まで花街として栄えていましたが、近年はほとんどが空き家となっていました。そんな中、かつての賑わいを取り戻そうと松應寺横丁街づくり協議会が発足し活性化を開始。いろんなお店ができてきており、古きよき昭和の雰囲気を感じられる、有数の名所となっています。

特に地元の人が不定期に開催する「にぎわい市」はかつての花町を髣髴とさせるような活気です。

松應寺横丁にある聖徳太子を祀る太子堂は、終戦直前にあった岡崎空襲の際に焼け残った寺の歴史が偲ばれる貴重な建物。

毎月22日のお太子様命日に御開帳され、色鮮やかな花々が描かれた天井絵を拝観できます。

また境内には珍しい早咲きの白い藤が咲きます。ソメイヨシノが終わるころに開花し、4月いっぱい楽しめます。



※松應寺横丁は神聖な松應寺境内となります。大声で騒がない等宗教上の配慮をすると共に、お写真等撮られる際は住民のプライバシーを守るため家屋の撮影はおやめください。
徒歩1分
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  • TERAKADO COFFEE
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てらかどこーひー

TERAKADO COFFEE

松應寺横丁パワースポットにあるコーヒースタンド
岡崎市の松應寺 パワースポットにあるコーヒースタンド

100%スペシャルティーコーヒーを使ったこだわりのエスプレッソからなるコーヒと和のクレープを提供しております。中でもテラカドオリジナルブレンドの(テラカドコーヒー)(テラカドラテ)や素材にもこだわった抹茶、ほうじ茶、きな粉のクレープが人気です。

さらに、月代わりのプレミアムクレープも話題を高めており毎月楽しみにして下さるお客様も増えてきております。

そして、境内の中にある特殊な立地環境で空き家を改装して店作りをし、廃材や古材で作り上げた内外装はとても特徴的です。

古い横丁の雰囲気を残したまま以前からそこにあったかのような外観を見て驚かれる方も大勢いらっしゃいます。
車で5分
7
  • 伊賀八幡宮
  • 伊賀八幡宮
  • 伊賀八幡宮
  • 伊賀八幡宮
  • 伊賀八幡宮
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  • 伊賀八幡宮
  • 伊賀八幡宮
  • 伊賀八幡宮
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いがはちまんぐう

伊賀八幡宮

家康公も必勝祈願した岡崎随一のパワースポット
松平家(徳川家の祖)の4代親忠は、文明2年(1470)に氏神として伊賀八幡宮を勧請し、松平家の守護神として創建されました。

5年後に氏寺(菩提寺)として創建の大樹寺と共に、江戸時代にわたっても将軍家の厚い崇敬をうけました。

家康公も、大きな合戦の時には必ず参詣したといわれ、徳川家の武運長久・子孫繁栄の守護神とされています。

のちに3代将軍家光が境内整備し、家康公(東照大権現)を祀りました。

本殿・隨神門・神橋など、ほとんどが国の重要文化財です。

岡崎春の風物詩家康行列の出発地で、家康公の戦勝祈願に習って出陣式が行われます。

葵御紋のお守りは必勝祈願アイテムとして要チェック。

7月にははすの花も開花し、撮影スポットとしても人気です。



毎年1月の大寒の日に、28mはなれた場所から矢を放ち檜の的板のわれ具合によってその年の豊凶を占う「武者的神事」が行われ、その結果に毎年多くの観衆が関心を寄せています。

占いは「矢が的に当たる」「当たるが割れない」「2つに割れる」「3つ以上に割れる」の4段階で判定されます。
車で10分
8
  • 大樹寺
  • 大樹寺
  • 大樹寺
  • 大樹寺
  • 大樹寺
  • 大樹寺
  • 大樹寺
  • 大樹寺
  • 大樹寺
  • 大樹寺
だいじゅじ

大樹寺

厭離穢土欣求浄土の言葉を胸に、家康公が再起を誓った地。
松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)松平家4代親忠公により勢誉愚底上人が開山しました。

かつて桶狭間の戦いで敗れた家康公が岡崎へ逃げ帰った際、大樹寺の周りを敵に取り囲まれこれまでと自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け切腹を思いとどまったことから、家康公再起の場として歴史的にも大きな役割を果たしたお寺。



境内にはその際に家康公が佇まれたと云われる松平家8代の墓や、国の重要文化財であり家康公の祖父・松平清康公が天文4年(1535)に建立した多宝塔などがあります。

また3代将軍家光公建立の山門を起点に岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は歴史的眺望「ビスタライン」と呼ばれ、約380年間守られてきた岡崎を代表する景観として知られています。



本堂内の拝観受付奥から始まる大方丈・位牌堂拝観ルートでは、「将軍御成りの間」に描かれた幕末の大和絵師・冷泉為親作「襖絵(障壁画)」の精巧な復元画や、桶狭間の戦い後に大樹寺に逃げ込んだ家康公を守ったかんぬきを厨子にいれ祀った「貫木神」、歴代将軍家等身大位牌や、家康公73歳の時の木像などが拝観できます。

GOAL
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