酒井忠次を辿るコース ~車でめぐる編~
音声ガイドを聞きながら岡崎をめぐろう!酒井忠次ゆかりの地を車でめぐります。
おすすめの季節
日帰り
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おかざきじょう
岡崎城
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岡崎城は徳川家康公が生まれた城として有名です。
1959年には天守が3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されました。
車で9分
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いだはちまんぐう
井田八幡宮
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住宅の中にひっそりとたたずむ井田八幡宮。井田城址周辺を開発していた酒井氏は、井田八幡宮の社殿を造営しました。酒井家の産土神としてあがめられ、当時は若宮八幡宮と称していました。
車で2分
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いだじょうし
井田城址
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酒井忠次出生の地。城山公園の敷地内にあり、大きな石碑が目印です。
車で1分
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にほんりょうり しげのや
日本料理 重の家
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日本料理重の家では観光のお客様向けに地元のものを多く使用し、岡崎に因んだ料理などをご用意しております。
夏はうなぎ料理、冬はふぐ料理と季節に応じて楽しんで会食していただける料理屋です。お部屋は全席椅子のテーブル席です。
車で5分
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だいじゅじ
大樹寺
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松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)松平家4代親忠公により勢誉愚底上人が開山しました。
かつて桶狭間の戦いで敗れた家康公が岡崎へ逃げ帰った際、大樹寺の周りを敵に取り囲まれこれまでと自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け切腹を思いとどまったことから、家康公再起の場として歴史的にも大きな役割を果たしたお寺。
境内にはその際に家康公が佇まれたと云われる松平家8代の墓や、国の重要文化財であり家康公の祖父・松平清康公が天文4年(1535)に建立した多宝塔などがあります。
また3代将軍家光公建立の山門を起点に岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は歴史的眺望「ビスタライン」と呼ばれ、約380年間守られてきた岡崎を代表する景観として知られています。
本堂内の拝観受付奥から始まる大方丈・位牌堂拝観ルートでは、「将軍御成りの間」に描かれた幕末の大和絵師・冷泉為親作「襖絵(障壁画)」の精巧な復元画や、桶狭間の戦い後に大樹寺に逃げ込んだ家康公を守ったかんぬきを厨子にいれ祀った「貫木神」、歴代将軍家等身大位牌や、家康公73歳の時の木像などが拝観できます。
徒歩1分
6
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えこういん
回向院
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酒井左衛門尉家の菩提寺。
一説によると、酒井忠次が居城である井田城内に酒井家の菩提寺として建立されたのが回向院ではないかといわれています。
その後大樹寺境内に移設、明治時代以降には規模を縮小し現在の位置に移設されました。
車で35分
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ほうぞうじ
法蔵寺
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家康公が幼少のころ、手習いや漢籍などの学問に励んだと伝えられる寺で、硯箱・硯石・手本・机・墨付小袖・破魔弓など家康公幼少期の品のほか、境内には六角堂開運勝利観音・東照権現宮・家康公ゆかりの草紙かけ松・おてならい井戸・お手植えの桜などの文化財も多く現存しています。
桶狭間の合戦後、家康公はこの寺に守護不入の特権を与えるなどして優遇しました。
東照宮下の中腹付近には、家康公縁者の霊廟や家康公の三大危機の一つといわれる三方ヶ原の合戦忠死者の墓があり、中には合戦の際、家康公の身代わりとなり討たれた夏目次郎左衛門吉信の墓もあります。
さらにその向かいには、新撰組隊長近藤勇のものと伝わる首塚もあります。
新撰組局長の近藤勇は、明治元年東京板橋で斬首されました。
京都三条大橋西に晒された首を同士が持ち出し、近藤が生前敬慕していた京都誓願寺住職に託した後、住職が転任した法蔵寺に運ばれました。
当初は、石碑を土で覆い、ひっそりと弔ったといわれています。
GOAL
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