松平家ゆかりのスポットと新撰組局長『近藤勇』の謎!?
岡崎市の東部エリアには、松平家ゆかりの歴史スポットが点在しています。
幼少期の家康公が手習いに通った法蔵寺をはじめ、三河一向一揆の際に家康公を守ったエピソードのある山中八幡宮や、家康公の父広忠を弔った広忠寺など、松平家ゆかりの地ともいえる場所です。
また、法蔵寺には、あの新撰組局長の近藤勇の首塚が。。。
おすすめの季節
日帰り
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みちのえき「ふじかわしゅく」
道の駅「藤川宿」
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徳川家康公生誕の地、そして江戸幕府の礎を築いた三河武士発祥の地である岡崎市の東の玄関口に位置する、国道一号沿いの道の駅です。
約4.3km、車で約11分
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ちょうふくじ
長福寺
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法華宗の寺院で山号を海雲山、院号を弘誓院といい、本山は越後本成寺です。
この寺は鳳来寺の末寺として天台宗でしたが、日蓮の弟子日印が文保2年(1318)に京都に上る途中ここに立ち寄り、法華宗に改宗させたと本尊の脇書に記されています。
三河武士、大久保家初代の忠茂が葬られて以来、大久保家の菩提寺となったりました。
徳川家草創期の歴史や三河武士の生き様を伝えることで有名な「三河物語」を残した大久保彦左衛門の墓が、「死後は長福寺に葬るべし」との遺言により一門の墓とともにあります。
約4km、車で約11分
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こうちゅうじ
広忠寺
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永禄5年(1562)、家康公が非業の死を遂げた父・広忠公の菩提を弔うために創建した寺です。
家康公と同じ年の同じ日に生まれた異母弟の恵最穎新が住職になり、母のお久とともに広忠公の供養に勤めました。
境内にお久、広忠公、忠政公(広忠公とお久の子)の墓があります。
家康公が戦場に守り本尊として持参したと伝わる大黒天や鎌倉時代の作の観世音菩薩像などの寺宝があります。
桑谷山を背景にした境内や、門前を流れる小川のせせらぎは風情があります。
約4.7km、車で約12分
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やまなかはちまんぐう
山中八幡宮
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家康公の父・広忠公が再興したといわれ、家康公19歳の折、その後桶狭間の戦いへとつながる“大高城兵糧入”の際に必勝祈願に立ち寄られた神社です。
また三河一向一揆の際、一向衆に追われた家康公が境内の洞窟(鳩ヶ窟)に身を隠して難を逃れられたことから、尊崇した場所と云われます。
そのほか境内には、家康公が地面にさした矢が成長したとされる「御開運竹」や、参道登り口にある樹齢800年のクスノキ(市天然記念物)などのパワースポットがあります。
毎年正月3日に開催される御田植神事「デンデンガッサリ」。
室町時代から続く五穀豊穣を祈る神事で、無形民俗文化財に指定されています。
約3.6km、車で約10分
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ごんじょうじ
欣浄寺
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法蔵寺第八代融翁洞文上人が法蔵寺を真正面に眺望できる洞元山の麓に庵を結び、念仏の隠居生活を送ったのが欣浄寺の始まりです。
阿弥陀三尊、千手千眼観世音菩薩坐像、釈迦三尊図が祀られています。
本堂前の大クスノキは樹齢100年を超えます。また、寺の裏山を登ると本宿町の街並みが一望できます。
約550m、車で約3分
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ほうぞうじ
法蔵寺
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家康公が幼少のころ、手習いや漢籍などの学問に励んだと伝えられる寺で、硯箱・硯石・手本・机・墨付小袖・破魔弓など家康公幼少期の品のほか、境内には六角堂開運勝利観音・東照権現宮・家康公ゆかりの草紙かけ松・おてならい井戸・お手植えの桜などの文化財も多く現存しています。
桶狭間の合戦後、家康公はこの寺に守護不入の特権を与えるなどして優遇しました。
東照宮下の中腹付近には、家康公縁者の霊廟や家康公の三大危機の一つといわれる三方ヶ原の合戦忠死者の墓があり、中には合戦の際、家康公の身代わりとなり討たれた夏目次郎左衛門吉信の墓もあります。
さらにその向かいには、新撰組隊長近藤勇のものと伝わる首塚もあります。
新撰組局長の近藤勇は、明治元年東京板橋で斬首されました。
京都三条大橋西に晒された首を同士が持ち出し、近藤が生前敬慕していた京都誓願寺住職に託した後、住職が転任した法蔵寺に運ばれました。
当初は、石碑を土で覆い、ひっそりと弔ったといわれています。
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