せんぷくじ
専福寺
寺の北側を東西に走る東海道と、南北の道路が交差する交通の要所に位置しています。
高い鼓楼の作りなどから、敵を防ぐ拠点であったことがうかがわれます。
三河一向一揆の際の住職である祐欽は家康公に和議を進めたが受け入れられずこの地を去った後、石川家成の母妙西尼が家康公に嘆願して、天正8年(1580)頃再興されました。
また、明治9年(1876)には昭憲皇太后の宿泊所、明治11年(1878)には明治天皇の行在所にもなりました。
高い鼓楼の作りなどから、敵を防ぐ拠点であったことがうかがわれます。
三河一向一揆の際の住職である祐欽は家康公に和議を進めたが受け入れられずこの地を去った後、石川家成の母妙西尼が家康公に嘆願して、天正8年(1580)頃再興されました。
また、明治9年(1876)には昭憲皇太后の宿泊所、明治11年(1878)には明治天皇の行在所にもなりました。
DATA
基本情報
住所 | 〒444-0037 愛知県岡崎市祐金町1‐2 |
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アクセス | 名鉄「東岡崎駅」より名鉄バス梅園学校前経由大樹寺行他「中伝馬」下車徒歩2分 |
駐車場 | あり |
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周辺観光情報
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