徳川家康公を辿るコース ~車でめぐる編③~
とくがわいえやすこうをたどるこーす ~くるまでめぐるへん③~
日帰り
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音声ガイドを聞きながら岡崎をめぐろう!岡崎市内に広く点在する家康公ゆかりのスポットは車を利用すると便利です!
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おかざきじょう
岡崎城
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岡崎城は徳川家康公が生まれた城として有名です。
1959年には天守が3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されました。
車で5分
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かくきゅーはっちょうみそ(はっちょうみそのさと)
カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
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味噌蔵や史料館をガイドが案内する無料の工場見学を毎日実施。
味噌の香りただよう蔵には、約2mの大きな味噌桶がずらりと並び、まさに圧巻!
史料館では等身大の人形で八丁味噌の製造工程を紹介している他、江戸時代からの貴重な史料を展示しています。
見学の最後にはお味噌汁の試飲も。
味噌料理が楽しめるお食事処「岡崎カクキュー八丁村」は、窓から熟成中の木桶を見ながらお食事できる唯一の施設です。品揃え豊富な売店も併設しており、味噌ソフトクリームは塩キャラメル風味で大好評です!
カクキューの本社屋や味噌蔵など、レトロでお洒落な写真が撮影できるフォトスポットも盛りだくさん♪
五感で学び、楽しめる「カクキュー八丁味噌」へ、ぜひお越しください♪
<カクキューの歴史>
カクキューの初代当主は元々今川の家臣でしたが、桶狭間の戦いで今川が敗れた後、岡崎の寺へと逃れ、武士をやめて、名を「久右衛門」と改めました。
久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、現在の場所である岡崎市八丁町(旧八丁村)へと移り、1645年に業として八丁味噌を造り始めました。
当主は代々「早川久右衛門」の名を襲名しており、現当主で19代目となります。現在でも、木桶に仕込み、職人が円錐状に石を積み上げ重石とし、二夏二冬(2年以上)長期天然醸造で熟成させる江戸時代初期から続く伝統製法で八丁味噌を造り続けております。
車で30分
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やまなかはちまんぐう
山中八幡宮
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家康公の父・広忠公が再興したといわれ、家康公19歳の折、その後桶狭間の戦いへとつながる“大高城兵糧入”の際に必勝祈願に立ち寄られた神社です。
また三河一向一揆の際、一向衆に追われた家康公が境内の洞窟(鳩ヶ窟)に身を隠して難を逃れられたことから、尊崇した場所と云われます。
そのほか境内には、家康公が地面にさした矢が成長したとされる「御開運竹」や、参道登り口にある樹齢800年のクスノキ(市天然記念物)などのパワースポットがあります。
毎年正月3日に開催される御田植神事「デンデンガッサリ」。
室町時代から続く五穀豊穣を祈る神事で、無形民俗文化財に指定されています。
車で10分
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ほうぞうじ
法蔵寺
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家康公が幼少のころ、手習いや漢籍などの学問に励んだと伝えられる寺で、硯箱・硯石・手本・机・墨付小袖・破魔弓など家康公幼少期の品のほか、境内には六角堂開運勝利観音・東照権現宮・家康公ゆかりの草紙かけ松・おてならい井戸・お手植えの桜などの文化財も多く現存しています。
桶狭間の合戦後、家康公はこの寺に守護不入の特権を与えるなどして優遇しました。
東照宮下の中腹付近には、家康公縁者の霊廟や家康公の三大危機の一つといわれる三方ヶ原の合戦忠死者の墓があり、中には合戦の際、家康公の身代わりとなり討たれた夏目次郎左衛門吉信の墓もあります。
さらにその向かいには、新撰組隊長近藤勇のものと伝わる首塚もあります。
新撰組局長の近藤勇は、明治元年東京板橋で斬首されました。
京都三条大橋西に晒された首を同士が持ち出し、近藤が生前敬慕していた京都誓願寺住職に託した後、住職が転任した法蔵寺に運ばれました。
当初は、石碑を土で覆い、ひっそりと弔ったといわれています。
車で15分
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みちのえき「ふじかわしゅく」
道の駅「藤川宿」
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徳川家康公生誕の地、そして江戸幕府の礎を築いた三河武士発祥の地である岡崎市の東の玄関口に位置する、国道一号沿いの道の駅です。
GOAL