松平氏進出の物語
半日
春
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冬
夢を繋いだ松平一門の足跡をたどる。松平家初代親氏は、松平家の勢力拡大のきっかけをつくり、三代信光は岡崎・安城に勢力を広げた。七代清廉、八代広忠は、近臣に殺され松平一族の支配権は弱体化し、東の今川氏、西の織田氏から攻められ支配権は縮小していく。初代親氏の天下泰平の願いは、竹千代(家康)に託された。
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まつだいらごう
松平郷
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ここには、松平東照宮をはじめ、松平氏ゆかりの史跡が多く残っている。松平東照宮には、徳川家康と松平氏の始祖、松平親氏が祀られている。境内には家康公が生誕した際に献上した水を汲んだ「産湯の井戸」や松平家の屋敷跡などがある。
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りゅうけいいん・すぎこだち
龍渓院・杉木立
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龍渓院は文安元年(1444)豊田市渡合の豪族土井九郎左衛門が開基し、松平広忠が再興した曹洞宗の寺です。
参道左手には樹齢200年を越す杉の大木が20m程の高さにそびえ、右手の崖には苔むした16羅漢が立ち並び、訪れる人を出迎えてくれます。
龍渓院は池を埋めたてたところに位置し、苔が必要とする湿気が十分に得られるため、境内一面には苔が生え、まるで緑のじゅうたんを敷きつめたようです。
「岡崎の苔寺」とも呼ばれています。
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しんこうみょうじ
信光明寺
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岩津城主の松平3代信光が宝徳3年(1451)に祖父親氏・父泰親の菩堤のため、岩津に創建した寺院です。
往時、壮麗を誇った建物は伊勢新九郎に放火され焼失しましたが、焼け残った観音堂は、文明10年(1478)に建てられたもので国の重要文化財です。室町中期の禅宗的趣味が明確に現れています。
他にも山越阿弥陀如来像や雲中阿弥陀如来像など、多くの文化財が残されています。
また、慶長7年(1602)には家康が120石余の領知朱印状を出しています。
この寺には、山越阿弥陀如来像(室町時代)、雲中阿弥陀如来像(南北朝時代)など多くの文化財も残されています。
さらに信光明寺の北側には、松平氏の岡崎進出の足掛かりとなった岩津城址があり、土塁や土橋、馬出しなど中世城郭のほぼすべての要素が遺構を見ることができます。
GOAL