志賀重昂関連スポット

岡崎市出身の世界的物理学者

志賀重昂(しがしげたか)氏は岡崎市出身の世界的地理学者で、また洋の東西を旅行して得た見聞を著書にし(著書は「志賀重昂全集」(全8巻)に大半が収められています。)、今日の貿易・文化交流の先駆的な役割をされました。岡崎市民にとっては「三河男児の歌」によって三河人の士気を大いに鼓舞していることが最も親しみ深いでしょう。なお、氏は木曽川の「日本ライン」の名付け親でもあります。その功績をたたえられ、1961年に岡崎市名誉市民となりました。
東公園には、銅像や墓をはじめとした、志賀重昂氏ゆかりのスポットがたくさんあります。

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この銅像は、岡崎市出身の世界的物理学者志賀重昂氏(1863~1927)の業績を顕彰しようと、1975年3月に建立されました。
形式は純インド様式の「スツーパ」(墳墓)という珍しいものです。
志賀重昂氏は、1927年4月6日息を引きとられましたが、遺骨は分骨され、一半は生前に氏が選定された青梅街道沿いの北澤村宗元寺へ埋葬され、他の一半がこの墓ができるのを待って埋葬されました。
1930年、当時世尊寺の境内地だったこの地に建てられました。
この歌碑は、志賀重昂氏の業績を顕彰しようと、1960年12月岡崎市が建立したものです。
「三河男児の歌」は、薩長藩閥政府に牛耳られている明治の世相を慨嘆し、ひるがえって三河の風土にはぐくまれた歴史と偉人に想いをはせ、沈滞している三河人の士気を鼓舞して、英雄再びこの地にいでて日本の指導者たるべきことを説いたものです。
東天竺山世尊寺は通称を釈迦堂といい、志賀重昂氏(1863~1927)の発願により建立されました。
東天竺山なる山号は志賀氏自らの、世尊寺なる寺号は、東本願寺法主、大谷光演氏の命名によるものです。
志賀氏は、第3回海外学術旅行で欧米諸国を歴訪の途中、泰国(タイ)、印度(インド)、錫蘭(セイロン)、緬旬(ビルマ)の仏跡を巡拝し、仏像、仏画、仏石等を収集して1924年に帰朝、釈迦牟尼世尊(金銅説法立像)の祭祀と祭殿建立の企画案とともにこれらを岡崎市に寄付されました。このことをもとに釈迦堂建設計画が進められましたが、1927年志賀氏が享年65歳で逝去されたため、この計画も一時中断となりました。しかし、生前から同氏と親交の深かった人々の努力と、岡崎佛教会の新たな参画により資金の目処も立ち、1929年4月20日仮堂が完成し、今日に至っています。