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本多忠勝を辿るコース ~車でめぐる編~

本多忠勝を辿るコース ~車でめぐる編~

ほんだただかつをたどるこーす ~くるまでめぐるへん~
日帰り
音声ガイドを聞きながら岡崎をめぐろう!本多家にゆかりのあるスポットは市内各地に点在します。本多家や忠勝ゆかりの地を辿ります!
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みょうげんじ

妙源寺

  • 妙源寺
  • 妙源寺
  • 妙源寺
  • 妙源寺
  • 妙源寺
三河の浄土真宗で最も古いといわれる、高田派の寺院です。

太子堂(柳堂)は、正嘉2年(1258)に建立され、正和3年(1314)に再建された国の重要文化財です。

松平氏より尊敬されていたことにより、一向一揆の際、家康公が難を本寺に避けました。

本尊は判官九郎(源義経)の持仏であったということから、武将の縁起を担ぎ、家康公の所望により、陣中の守り本尊としながら、最後は東京の芝の増上寺に奉納しています。この縁により家康公は、「源」の1字をとり、明眼寺から妙源寺と改称しました。

法寶物の展示は8月7、8日に行っています。
車で10分
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おかざきじょう

岡崎城

  • 岡崎城
  • 岡崎城
  • 岡崎城
  • 岡崎城
  • 岡崎城
  • 岡崎城
  • 岡崎城
  • 岡崎城
天下を取った家康公の出世パワーにあやかる!
岡崎城は徳川家康公が生まれた城として有名です。

1959年には天守が3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されました。
徒歩1分
3
たつきじんじゃ

龍城神社

  • 龍城神社
  • 龍城神社
  • 龍城神社
  • 龍城神社
  • 龍城神社
  • 龍城神社
  • 龍城神社
  • 龍城神社
  • 龍城神社
  • 龍城神社
昇龍伝説の残るパワースポットです!
岡崎城の隣に鎮座する神社です。

家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝説が残るパワースポットです。

龍の井は、龍神が現れこの井戸の水が噴出し龍神に注いだと伝えられており、出世、開運、安産、厄除けのご加護があります。

御祭神として家康公と、幕末の岡崎城最後の城主であった本多氏の祖、忠勝公が祀られています。

正月には江戸城の習慣だったうさぎ汁が参拝客に無料で振舞われます。

初宮参りや七五三にぜひお立ち寄りください。



車で15分
4
ほんだへいはちろうただかつたんじょうち

本多平八郎忠勝誕生地

  • 本多平八郎忠勝誕生地
天下無双の勇士の誕生地
本多忠勝は徳川四天王のひとりで、武田軍から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」、豊臣秀吉に「家康に過ぎたるもの」「天下無双の勇士」と称賛された武将。岩津学区の西蔵前町にあります。青木橋を北に渡ってすぐのところに石碑が立っています。
※駐車場がありません
徒歩5分
車で1分
5
あじなみ いわづてん

味波 岩津店

  • 味波 岩津店
  • 味波 岩津店
  • 味波 岩津店
  • 味波 岩津店
  • 味波 岩津店
  • 味波 岩津店
  • 味波 岩津店
三河のこだわり食材を使ったうなぎ料理、釜めしを様々なシーンで
三河湾沿岸で獲れた新鮮な魚介類など旬の食材を使用した会席料理、定食、ランチ、一品料理がいただけるお店。全室個室で、2~60名まで利用でき、家族や友人との食事会はもちろん、宴会や慶事や仏事にも使用でき、送迎バスもあります。

名物の「釜めし」は、生米から炊き上げ、ご飯の食感と釜の下にできるおこげが絶品。生きたまま仕入れる「うなぎまぶし」や、岡崎の八丁味噌となたね油の赤水を使用したご当地グルメ「岡崎まぜめん」も人気です。

また団体様向けに、家康公が好まれたと云われる鯛の天ぷら、ナス、八丁味噌をつかった“煮味噌”、麦飯などを盛り込んだ「家康定食」が登場。ご都合に合わせ、テイクアウトメニューとしてもご活用いただけます。

自宅での集まりに便利なお持ち帰り用オードブルも対応可能で、幅広いニーズにも対応してくれる地域に愛されるお店です。



※テイクアウトもできます。現在、味波店、農遊館、シビコ地下食料品売り場でも、お弁当などを販売しています。
車で15分
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げんくうじ

源空寺

  • 源空寺
平安時代中期、天台宗の寺院・恵心庵(えしんあん)として創建されたと伝わり、浄土宗の宗祖・法然上人とも深い関わりをもつ寺院です。

1555年に浄土宗となり、1611年には岡崎城主である本多康重の菩提所となりました。岡崎藩4代藩主・本多忠考の墓のみ、源空寺に建てられています。
西岸寺が墓所を持たなかったため、源空寺に墓の設置を依頼していたようで、その縁か、本堂内には忠勝の念持仏(ねんじぶつ)が安置されています。
車で5分
7
さいがんじ

西岸寺

  • 西岸寺
本多平八郎家の菩提寺
本多忠政が、父・本多忠勝の菩提のため、下総国(千葉県)の紀州桑名に一宇を建立したのが始まりとされています。以来、本多忠勝の菩提寺として、領地が変わるごとに移転しましたが、1770年(明和7)に石州浜田(島根県浜田市)から岡崎に移りました。
岡崎空襲によって被災しますが、本尊・阿弥陀如来坐像は焼失を免れ、その後50年を経て、1999年(平成11)、本堂等が再建されます。

西岸寺は岡崎城の東の入口に位置し、東側には外堀が築かれて「籠田総門(東総門)」があり、門前には、東海道をはさんで総持寺(現・総持尼寺)と西岸寺が建っていました。西岸寺の辺りに岡崎城の東の端にある総門があったことで、岡崎城の広大さを感じることができるでしょう。
その昔、東海道を旅した武将は、この寺の敷地内にある赤門から篭で登城したそうです。その赤門は奇跡的に戦災を免れて当時の様子を現代に伝えています(敷地内非公開)。
車で8分
8
きゅうほんだただつぐてい

旧本多忠次邸

  • 旧本多忠次邸
  • 旧本多忠次邸
  • 旧本多忠次邸
  • 旧本多忠次邸
  • 旧本多忠次邸
  • 旧本多忠次邸
  • 旧本多忠次邸
  • 旧本多忠次邸
ステンドグラスと和洋の調和した内装は必見です。
旧岡崎藩主の末裔、本多忠次が1932年に東京世田谷区に建てた邸宅の一部を移築復元しました。

西洋スパニッシュ様式の建物で、館内では当時そのままの家具やステンドグラスなどの調度品が常設展示されています。
GOAL

 コースマップ

音声ガイドを聞きながら散策もおススメ!

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