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隠れた歴史的スポットがこんなに!矢作の地ウォーク

隠れた歴史的スポットがこんなに!矢作の地ウォーク

出世祈願・立志開運

岡崎市の西部、矢作川界隈をめぐる旅です。
ここは矢作川の影響を最も受けた場所で、古くから交易や交通の要所・中心地でした。
また、白鳳時代とされる北野廃寺から、日本武尊の伝説が残る矢作神社、親鸞聖人の影響が強く残る寺など貴重な歴史スポットが満載です!
長い距離を歩ける方は、チャレンジしてみて!

おすすめの季節
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日帰り
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1
  • 北野廃寺跡
  • 北野廃寺跡
  • 北野廃寺跡
  • 北野廃寺跡
  • 北野廃寺跡
  • 北野廃寺跡
きたのはいじあと

北野廃寺跡

白鳳時代の北野には、高さ30mの三重の塔や金堂、講堂などが一直線に並ぶ四天王寺様式の壮大な寺院が建っていました。
大門、中門、僧坊などの伽藍配置の建物跡が残され、1975年に史跡公園として整備されました。
西三河最古の寺跡として、その名残を礎石に偲ぶことができます。
周辺にも古墳群が多いことから、権力や財力者の居住地や生活の中心地だったようです。
450m。徒歩5分。
2
  • 鹿ヶ松の伝説

鹿ヶ松の伝説

1560年(永禄3年)、桶狭間の合戦に敗れた19歳の松平元康(のちの家康公)はこの地まで逃れてきましたが前日の雨で増水した矢作川を渡ることができませんでした。その時、長瀬八幡宮の森から鹿が現れ、松の大木の陰から川を渡るのを見た家臣の石川伯耆守は「八幡大菩薩の化身である。浅瀬を知る鹿に続け!」と号令をかけ、一行は無事に対岸へと渡り大樹寺に入ることができました。鹿ヶ松跡の記念碑のそばには6代目の松が植樹されています。
徒歩8分
3
  • 御所清水
ごしょしみず

御所清水

松平元康公(のちの家康公)が寺部城攻めの帰路、ここの湧水で渇きを癒したと言われています。また、桶狭間の戦いで岡崎へ逃げるときにも立ち寄ったといわれています。
約1.9km、徒歩約24分
4
  • 願照寺
  • 願照寺
  • 願照寺
がんしょうじ

願照寺

親鸞聖人の弟子・専信房専海を開基とし、「安静御影」があった名刹です。
門侶交名帳には、専信房のことを「遠江の人」と記されていることから察すると、専信房は親鸞聖人の信頼も厚く、三河念仏を語る上には欠くことのできない存在であったようです。
専信房の保持した「安静御影」は、当山8代の了正の時、本願寺に収められ、現在は国宝として西本願寺にあります。
また、親鸞聖人の「母校教訓の絵」や御自作の「聖徳太子像」などが寺宝として所蔵されています。
約1.9km、徒歩約24分
5
  • 矢作神社
  • 矢作神社
  • 矢作神社
  • 矢作神社
やはぎじんじゃ

矢作神社

日本武尊ゆかりの神社です。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が賊退治の矢作りの際、一匹の蝶が人の姿になり矢作川の中州に生える竹を取ってきました。
その竹で矢作部(やはぎべ)が一夜で一万本の矢を作ったという伝説から矢作神社となりました。
境内には「矢竹」とよばれる数珠の竹と日本武尊像が祀られています。

この神社で開かれる「矢作神社大祭」は五穀豊穣、兼好・安全を願い、約300年前から受け継がれています。
452m、徒歩約6分
6
  • 勝蓮寺
  • 勝蓮寺
  • 勝蓮寺
  • 勝蓮寺
  • 勝蓮寺
しょうれんじ

勝蓮寺

真宗大谷派の当寺は、河原山と号し、天台宗の僧恵堯が師の恵心作の薬師如来を矢作の里の柳樹の元に御堂を建てて納め、柳堂薬師寺と称したことが起源といわれています。
その後、嘉禎元年(1235)に、当寺の別当舜行が親鸞聖人の法弟となり、恵眼の法名を受け真宗に改められました。
松平8代広忠公、家康公、信康公、石川日向守などの崇敬が厚く、特に17代住職行誓の時には松平信康公と関係が深く、多くの遺品が保存されています。
本尊の阿弥陀尊像は親鸞聖人から与えられたものといわれています。
724m、徒歩約10分
7
  • 誓願寺
  • 誓願寺
  • 誓願寺
せいがんじ

誓願寺

義経が浄瑠璃姫に贈った笛が安置される寺。
牛若丸(源義経)と兼高長者の娘、浄瑠璃姫の、美しくも悲しい恋物語が眠る場所です。
承安4年(1177)、牛若丸は、奥州平泉の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色にひかれた義経が、持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。 しかし、義経は奥州へ旅立たねばならず、矢作を去りました。姫が義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、添うに添われぬ恋に、ついに菅生川に身を投じて短い人生を終えました。

誓願寺は、義経が浄瑠璃姫に贈ったとされる笛「薄墨」が安置されています。浄瑠璃姫の父兼高長者が、義経と浄瑠璃姫の木像、姫の鏡などの遺品とともにここに葬り、十王堂を建てたといわれています。
また、浄瑠璃姫の管弦と義経の薄墨の笛を合わせて奏でて出会った場所でもあります。
約2km、徒歩約26分
8
  • 和志取神社
  • 和志取神社
  • 和志取神社
わしとりじんじゃ

和志取神社

五十狭城入彦皇子(いさきいりひこのみこ)を祭神とするこの神社では、折年祭、春季祭、例祭、勤労感謝祭と年4回の大祭が行われ、浦安の舞が奉納されます。
特に秋の勤労感謝祭では、甘酒祭が現在も伝承されています。
約2.7km、徒歩約35分
9
  • 上宮寺
  • 上宮寺
  • 上宮寺
  • 上宮寺
  • 上宮寺
  • 上宮寺
  • 上宮寺
  • 上宮寺
じょうぐうじ

上宮寺

三河一帯にわたる永禄の一向一揆は、家康公の三河統一の試練ともなりました。
一揆のきっかけは、家康公の家来菅沼定顕が上宮寺から糧米を強制的に徴収しようとしたためでした。
上宮寺は当時、本願寺教団に於ける三河三ヵ寺と呼ばれ家康公に対抗しました。
1988年に本堂や庫裏などが全焼しましたが、1996年に銅版屋根の現代作りで再建されました。
約1.2km、徒歩約16分
10
  • 妙源寺
  • 妙源寺
  • 妙源寺
  • 妙源寺
  • 妙源寺
みょうげんじ

妙源寺

三河の浄土真宗で最も古いといわれる、高田派の寺院です。
太子堂(柳堂)は、正嘉2年(1258)に建立され、正和3年(1314)に再建された国の重要文化財です。
松平氏より尊敬されていたことにより、一向一揆の際、家康公が難を本寺に避けました。
本尊は判官九郎(源義経)の持仏であったということから、武将の縁起を担ぎ、家康公の所望により、陣中の守り本尊としながら、最後は東京の芝の増上寺に奉納しています。この縁により家康公は、「源」の1字をとり、明眼寺から妙源寺と改称しました。
法寶物の展示は8月7、8日に行っています。
GOAL
MAP

コースマップ

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