あんしんいん
安心院
義経が浄瑠璃姫を弔うために建てた寺院。
牛若丸(源義経)と兼高長者の娘、浄瑠璃姫の、美しくも悲しい恋物語が眠る場所です。
承安4年(1177)、牛若丸は、奥州平泉の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色にひかれた義経が、持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。 しかし、義経は奥州へ旅立たねばならず、矢作を去りました。姫が義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、添うに添われぬ恋に、ついに菅生川に身を投じて短い人生を終えました。
安心院の創建は1182〜3年、源義経が浄瑠璃姫の菩提を弔うために創建したのが始まりです。
当初は七堂伽藍が立ち並ぶ大寺でしたが、度重なる兵火で衰退し、今では十一面観音菩薩像を安置する草庵となりました。
境内には1793年に岡崎藩主本多忠顕が人丸神社から取り寄せた松尾芭蕉句碑があります。
承安4年(1177)、牛若丸は、奥州平泉の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色にひかれた義経が、持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。 しかし、義経は奥州へ旅立たねばならず、矢作を去りました。姫が義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、添うに添われぬ恋に、ついに菅生川に身を投じて短い人生を終えました。
安心院の創建は1182〜3年、源義経が浄瑠璃姫の菩提を弔うために創建したのが始まりです。
当初は七堂伽藍が立ち並ぶ大寺でしたが、度重なる兵火で衰退し、今では十一面観音菩薩像を安置する草庵となりました。
境内には1793年に岡崎藩主本多忠顕が人丸神社から取り寄せた松尾芭蕉句碑があります。
DATA
基本情報
住所 | 〒444-0868 愛知県岡崎市明大寺町馬場東54 |
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電話番号 | 0564-51-5411 |
アクセス | 名鉄「東岡崎駅」下車徒歩8分 |
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