キャプション
立志開運!家康公開運の旅ドライブコース
日帰り
春
夏
秋
冬
徳川家康公が生まれた岡崎城を始め、天下統一の鍵となった大樹寺、大きな戦の際には必ず必勝祈願に訪れた伊賀八幡宮、「日本三東照宮」のひとつ瀧山東照宮など、徳川家のルーツを辿るにふさわしい、家康公のゆかりの地を巡る王道ドライブコース。
START
東名高速道路岡崎ICから、車で10分
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ろくしょじんじゃ
六所神社
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松平家の産土神として松平家・徳川家の崇敬が篤く、現在も「安産の神様」として信仰されている神社です。
徳川家康公誕生の際には、松平氏の産土神としての拝礼があったと言われています。
5万石以上の大名だけが上ることを許されたという石段をあがると、極彩色の楼門、その奥に社殿が現れます。
華麗な彫刻や彩色はいずれも江戸時代のもので、3代将軍家光公の命により整えられました。昭和51年(1976)に日光東照宮と同じ手法によって修復工事が行われ、建立当時の美しさを再現しました。
また、本殿・幣殿・拝殿・楼門・神供所は国の重要文化財に指定されています。
元旦限定で、いい初夢が見られるという「宝船図」が手に入るほか、宝くじなどの金運をあげるという「宝袋」など、開運のパワースポットでもあります。
連続テレビ小説「純情きらり」ロケ地で、有森桜子がいじめっ子の高島キヨシと決闘した神社です。
車で約5分
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おかざきじょう
岡崎城
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岡崎城は徳川家康公が生まれた城として有名です。
1959年には天守が3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されました。
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~お知らせ~
【歴まちカード】※2024年1月29日(月)更新
・岡崎城天守1階売店
・岡崎市役所まちづくり推進課(西庁舎1階)窓口 2ヶ所で配布中
車で約5分
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まるやはっちょうみそ
まるや八丁味噌
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創業はなんと1337年!
醸造業からはじめ、江戸時代に始めた味噌作りの伝統製法を守り抜き、八丁味噌を製造しています。
大豆麹を巨大な木桶に仕込み、重石を積み上げて作ります。石積みは熟年の職人技です。
製造所内に流れるゆったりとした時間や香りの中で、歳月を重ねた味噌桶の存在感や天に向って積み上げられた重石の力強さなど、八丁味噌の味噌蔵ならではの風景をお楽しみいただけます。
店内では、八丁味噌を使用したお土産品の販売もおこなっております。
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かくきゅーはっちょうみそ(はっちょうみそのさと)
カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
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味噌蔵や史料館をガイドが案内する無料の工場見学を毎日実施。
味噌の香りただよう蔵には、約2mの大きな味噌桶がずらりと並び、まさに圧巻!
史料館では等身大の人形で八丁味噌の製造工程を紹介している他、江戸時代からの貴重な史料を展示しています。
見学の最後にはお味噌汁の試飲も。
味噌料理が楽しめるお食事処「岡崎カクキュー八丁村」は、窓から熟成中の木桶を見ながらお食事できる唯一の施設です。品揃え豊富な売店も併設しており、味噌ソフトクリームは塩キャラメル風味で大好評です!
カクキューの本社屋や味噌蔵など、レトロでお洒落な写真が撮影できるフォトスポットも盛りだくさん♪
五感で学び、楽しめる「カクキュー八丁味噌」へ、ぜひお越しください♪
<カクキューの歴史>
カクキューの初代当主は元々今川の家臣でしたが、桶狭間の戦いで今川が敗れた後、岡崎の寺へと逃れ、武士をやめて、名を「久右衛門」と改めました。
久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、現在の場所である岡崎市八丁町(旧八丁村)へと移り、1645年に業として八丁味噌を造り始めました。
当主は代々「早川久右衛門」の名を襲名しており、現当主で19代目となります。現在でも、木桶に仕込み、職人が円錐状に石を積み上げ重石とし、二夏二冬(2年以上)長期天然醸造で熟成させる江戸時代初期から続く伝統製法で八丁味噌を造り続けております。
車で約7分
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いがはちまんぐう
伊賀八幡宮
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松平家(徳川家の祖)の4代親忠は、文明2年(1470)に氏神として伊賀八幡宮を勧請し、松平家の守護神として創建されました。
5年後に氏寺(菩提寺)として創建の大樹寺と共に、江戸時代にわたっても将軍家の厚い崇敬をうけました。
家康公も、大きな合戦の時には必ず参詣したといわれ、徳川家の武運長久・子孫繁栄の守護神とされています。
のちに3代将軍家光が境内整備し、家康公(東照大権現)を祀りました。
本殿・隨神門・神橋など、ほとんどが国の重要文化財です。
岡崎春の風物詩家康行列の出発地で、家康公の戦勝祈願に習って出陣式が行われます。
葵御紋のお守りは必勝祈願アイテムとして要チェック。
7月にははすの花も開花し、撮影スポットとしても人気です。
毎年1月の大寒の日に、28mはなれた場所から矢を放ち檜の的板のわれ具合によってその年の豊凶を占う「武者的神事」が行われ、その結果に毎年多くの観衆が関心を寄せています。
占いは「矢が的に当たる」「当たるが割れない」「2つに割れる」「3つ以上に割れる」の4段階で判定されます。
車で約6分
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だいじゅじ
大樹寺
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松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)松平家4代親忠公により勢誉愚底上人が開山しました。
かつて桶狭間の戦いで敗れた家康公が岡崎へ逃げ帰った際、大樹寺の周りを敵に取り囲まれこれまでと自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け切腹を思いとどまったことから、家康公再起の場として歴史的にも大きな役割を果たしたお寺。
境内にはその際に家康公が佇まれたと云われる松平家8代の墓や、国の重要文化財であり家康公の祖父・松平清康公が天文4年(1535)に建立した多宝塔などがあります。
また3代将軍家光公建立の山門を起点に岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は歴史的眺望「ビスタライン」と呼ばれ、約380年間守られてきた岡崎を代表する景観として知られています。
本堂内の拝観受付奥から始まる大方丈・位牌堂拝観ルートでは、「将軍御成りの間」に描かれた幕末の大和絵師・冷泉為親作「襖絵(障壁画)」の精巧な復元画や、桶狭間の戦い後に大樹寺に逃げ込んだ家康公を守ったかんぬきを厨子にいれ祀った「貫木神」、歴代将軍家等身大位牌や、家康公73歳の時の木像などが拝観できます。
車で約10分
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たきさんじ・たきさんとうしょうぐう
瀧山寺・瀧山東照宮
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瀧山寺は1300年前に開かれた古刹。天武天皇の勅願により薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まりとされています。
寺の裏には家康公が建立し、家光公によって再建されたといわれる日吉山王社もあります。
寺宝の聖観音・梵天・帝釈天三尊像は、鎌倉時代の第1の仏師運慶・湛慶父子の作として、昭和56年に国の重要文化財に指定されました。聖観音像は頼朝公の等身大で、仏身に御髪と御歯が納められています。
岡崎市最古の和様建築物である三門、本堂ともに国の重要文化財です。
瀧山寺の隣にある瀧山東照宮は、正保3年(1646)、3代将軍家光公の創建で、日光東照宮・久能山東照宮とともに「日本三東照宮」に数えられています。
瀧山寺本堂よりも一段高い所にあり、拝殿・中門・本殿などのほか、家光公寄進の太刀銘長光と家綱寄進の太刀銘正恒は国の重要文化財に指定されています。
本殿と拝殿の間に中門があるのが特徴で、極彩色の東照宮様式で建てられている社殿は往時の徳川家の権勢を今に伝えます。
毎年旧暦正月の7日に近い土曜日に、鎌倉時代から続く「瀧山寺鬼祭り」が開かれます。
この祭りは春の到来を告げ、天下泰平、五穀豊穣を願います。徳川3代将軍以後は幕府の行事ともなりました。
最大の見所はクライマックスの火まつり。運慶作の面をかぶった鬼と暗闇の中を乱舞する松明の火は必見です。
【お知らせ】※2022年11月18日更新
瀧山寺本堂に安置「木造日光・月光菩薩立像」2体、「木造十二神将立像」12体(鎌倉時代:13世紀)が、国重要文化財に指定される予定と発表されました。
GOAL