四天王筆頭、酒井忠次!

家康の次男、徳川秀忠の『秀』は豊臣秀吉より、『忠』は酒井忠次にあやかりつけたと言われています。
三河統一期の家康家臣団では四天王はまだ旗本の中、忠次は別格の東三河の旗頭でした。
豊臣の時代になり、関東へ領地替えになった家康は主な家臣にも領地を与えました。四天王の本多と榊原には10万石。井伊には12万石。すでに息子に家督を譲っていた酒井には3万石。忠次は家康に『息子に加増を・・・』と懇願しましたが、忠次によって信康をうしなった家康は『そなたでも子はかわいいか』といって酒井家を加増することはありませんでした。
姓名/酒井忠次(さかい ただつぐ)
生年/1527年
出身地/愛知県岡崎市