徳川軍の忍頭、服部半蔵正成
1579年、二俣城にて家康の長男信康が切腹をするときの介錯人は正成だったが、正成は信康に刃を向けることはできないと落涙し別の者が介錯にあたった。家康は『鬼の半蔵と呼ばれた男も、主君を手にかけることはできなかった』と、正成を一層評価したと言われています。
徳川十六将
又の名を鬼の半蔵。世間で知られている「服部半蔵」は彼のことですが、正成自身は槍を持ち甲冑を着て足軽を率いた武士でした。
同い年の家康公に付き従い、家康公の三大苦難である三方ヶ原の戦いで功績をあげ、伊賀者百五十人と槍一筋を賜ります。また伊賀越えの折は伊賀・甲賀者を率いて家康公一行を岡崎城へ帰還させました。
プロフィール
姓名/服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさしげ)
生年月日/1542年
出身地/愛知県岡崎市