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岡崎市美術博物館の収蔵品を紹介します!

【収蔵品紹介14】1920年に実施された第1回目の国税調査資料

昨年は5年に一度の国勢調査の年でしたね。皆さんのお宅にも調査員が訪問されましたか?
国勢調査が初めて実施されたのは大正9年(1920)らしいです。
ん? ということは、ちょうど100年目に実施されたんですね。
ということで、第1回の資料を探してみたら、ありました!

1つは「国勢調査(船舶に居る人の注意)」という1枚の説明書です。
こうした説明書が必要なほど、当時は船で生活する人が多くいたということでしょうか。

もう1つは「国勢調査済証票」です。
国勢調査の提出が済んだことを証明するものなのかな。

また第3回の「国勢調査に就て」という紙では、調査当日である10月1日の前日から時報機や鐘で合図がされることを予告しています。
当日朝の時報の目的はわかるけれど、「前日昼には時計を合わせなさい」「前日夜には帰宅しなさい」はどういう意味なのでしょうか?
なんにせよ、国勢調査に対する熱の入れようがうかがえます。
今はプライバシー意識の高まりもあり、調査が難しいこともあるようです。

国勢調査は国のすがたを知るための根幹をなすものです。調査の精度向上のために、皆さまご協力いただきありがとうございました。

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【収蔵品紹介13】石川貫河堂筆 帰去来図襖絵

中国陶淵明の詩文「帰去来辞」に詠われた内容を具現化した襖絵です。作者は近世後期岡崎城下町の絵師である石川貫河堂です。市内十王町の西照寺にある貫河堂の碑によると、貫河堂は、諱は平直、字君義、号を貫河、または達堂といい、幡豆郡の横須賀(西尾市)に生まれたといいます。若年で京都に出て、岸駒に学んだのち岡崎に居を定めて住みました。貫河堂の作品は山水図の軸物が多く残され、貫河堂が絵を描き、鶴田卓池が俳句の賛を入れたようなコラボの作品もあります。
本図は旧岡崎藩領山方手永の大庄屋であった六名の斎藤家から当館に寄付を受けたものです。斎藤家からは同時に2面の貫河堂筆の花鳥図襖絵の寄付を頂いています。これらはいずれも大庄屋斎藤家の家屋内を飾っていたものです。貫河堂による室内を装飾する襖絵のような大作は、確認できるところでは市内鴨田町の西光寺書院の襖絵の例のみで類例がなく、貫河堂の絵師としての力量の高さを示しています。
本図には「貫河堂写」の署名、朱印白文の「平直美印」があります。名前の貫河というのは矢作川のことです。三河の由来のもとになった矢作川の異名を名前とするように、貫河堂は三河地域に根差した絵師といえます。旧岡崎市史の第六巻や第七巻には、貫河堂が描いた岡崎をはじめとする三河各地の風景や寺院のスケッチが収録されていることは周知のとおりです。これらの絵は「三河名勝志」という地誌に掲載されたとされるもので、現代失われた景観を知ることのできる貴重な資料ともなっています。三河各地を訪ね歩いて筆を執る貫河堂の姿が想像できます。

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【収蔵品紹介12】≪御深井花十字文割俵形鉢≫ 

御深井焼の名は、名古屋城内の御深井丸に窯が築かれたことに由来します。灰釉系の透明度の高い御深井釉を用い、17世紀前半に始まる尾張徳川家の御庭焼と美濃や瀬戸の流れがあります。
本作は、胴部中央には円に内接する十字の中に四弁の花びらをもつ「花十字」文様が前後に施されています。十字文は十字架をモチーフにしたもので、キリスト教の伝来や西洋との交易でもたらされた南蛮文化は、戦国武将や京・堺の豪商などにより積極的に取り入れられました。
武士のたしなみであった茶の湯の道具にも南蛮文様が取り入れられている点が興味深く、当館のコンセプトのひとつである「家康の生きた時代」の流行である南蛮意匠を取り入れた貴重な資料です。

≪御深井花十字文割俵形鉢≫ 江戸時代前期(17~18世紀)/器高10.2㎝、口径14.5~17.2㎝、高台径6.9~9.0㎝、岡崎市美術博物館蔵

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【収蔵品紹介11】夏休み日誌

コロナウイルスがいまだに大きな影響を及ぼし続けています。学校生活も通常にはほど遠く、多くの学校が授業時間を確保するため、今年の夏休みを大幅に短縮しています。その分、宿題がなかったり少なかったり…のようですが。
今回ご紹介するのは、83年前の夏休み日誌です。
岡崎市岩津尋常高等小学校(今の岡崎市立岩津中学校・岩津小学校の前身)尋常科6年の女子児童が一生懸命取り組んだ様子が、鉛筆の文字からうかがえます。
この年の夏休みは7月25日から9月2日。修身・読方(よみかた)・綴方(つづりかた)・算術・地理・国史・理科・調査・日記など、毎日1頁ずつ課題をこなします。この頃にもお天気は記録するようになっていますね。
提出した評価は「良」。でも、字はもっと丁寧にきれいに書くこと、答えはなるべく詳しく書くようにと、先生からのちょっと厳しい言葉も最終頁に添えられています。
時代は違っても、子ども達が宿題に取り組む姿は同じです。今年は特別な夏と言われますが、来年はいつも通りの夏休みでありますように。


夏休み日誌/1937年(昭和12年)・児童新聞社発行 当館蔵

【収蔵品紹介10】榎倉康二「干渉(Story-No.2)」

白と黒のシンプルな対比には静かで上品な美しさがあり、大胆に画面に張り付いた無骨な木材は実直な鋭さを放っています。
縫い合わせた綿布に黒いアクリル塗料が染み込んで滲み、画面左にはアクリルの染みた木材が付けられ、その隣にはそれが接触した痕跡が残されています。布、木材、塗料の3つの素材が生み出す緊張感と静謐な世界観は、アクリル塗料が綿布にじんわり滲んだ物質的な時間感覚へ私たちを誘います。
タイトルの「干渉(Story-No.2)」とは人間の主観的・日常的な身体感覚と、物質的な感覚との接触を意味しています。「干渉」は私たちが本作品を「鑑賞」することと重なり、鑑賞することで作品=物質は私たちに「干渉」します。そして鑑賞によって体感した物質的感覚が、塗料の「滲み」を通して、隠喩として私たちの日常的な身体感覚に「滲み」出てくる「干渉」にもなっていると言えます。
制作者の榎倉康二(ENOKURA Koji/1942-1995)は、1960年代後半の社会を前提から再構築しようという風潮の中で、人間の身体と物質との関係を探求した芸術家でした。榎倉は同時代の美術の動向のひとつであり、自然素材を未加工のまま作品として転用する「もの派」のひとりとして知られています。

榎倉康二「干渉(Story-No.2)」1990年/アクリル、綿布、木材/161.5×194cm

【収蔵品紹介09】去る7月6日は何の日?

この日は、岡崎市美術博物館の開館日です。

1996年7月6日に開館してから、丸24年が経ちました。
みなさまには日頃から当館の活動にご理解ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
そして来年2021年には開館25周年の節目を迎えます。スタッフ一同、今後とも誠意努力してまいりますので、今後とも温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

『岡崎市美術博物館』1996年
  • 愛知まちなみ建築賞受賞(1997年)
今回は当館で一番巨大な作品である建物のご紹介です。
当館の建物は建築家の栗生明氏(千葉大学工学部名誉教授)による設計です。緑豊かな中央総合公園の環境と調和し、自然に溶け込んだデザインになっています。
建物北側に位置するガラス張りのアトリウムは、建物内にいても外の自然を感じることができます。一方で外側から見ると、(天候等の条件があえば)空や木々がガラスに映り込んだ幻想的な光景が現れます(素敵な写真が撮れますよ!)。
逆に南側から建物を臨むと、恩賜池に向かって下がっていく地形にあわせて、広い面積を必要とする展示室や収蔵庫をはじめとしたバックヤードが配置されています。これらの施設が地中に埋め込まれるかのように収まっていることで、周りの景色をさえぎることなく、自然と建物が一体となっています。
ご来館の際は、建物探検もぜひお楽しみください。もしかしたら思わぬ発見があるかも?


(参考)
栗生明+栗生総合計画事務所ホームページ(外部サイト)
名古屋圏の建築家と建築 編集委員会+名古屋工業大学伊藤孝紀研究室編『名古屋圏の建築家と建築』2019年
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【収蔵品紹介08】昭和6年、岡崎市内にあった劇場のチラシ

1931年(昭和6年)“学者犬トミー”は当時の大変な人気者で、全国の劇場のみならず、官公庁でもショーが行われました。
のちに首相となった斎藤実も感嘆し、賛辞を書にしたためてプレゼントしたそうです。
「名古屋産」とあるのは、元は大須観音で拾われたためだとか。当時の3万円というと、今の1億円くらいでしょうか。

トミーのショーの様子というと・・・
国名を出せば、各国の旗が並べられた中からその国のものを選んできたり、偉人の名前を出せば、並べられた肖像画の中からその人物を選んできたり、なんと算数の問題にも答えることができました。

例えば「一週間は何時間か」と聞けば、
「1」「6」「8」の札を順番にくわえて持ってきたとか。
あまりのトミー人気に、落語家が仕事をとられてしまい、“「夫婦喧嘩は犬も食わない」というが、「咄家は犬に食われる」”というボヤキも残っています。
子どもが親と一緒に見物に行くと、「坊やには出来ないでしょう。駄目ねえ、もっと勉強しなきゃ」とオコゴトを言われてしまったそうな。

しかしながら、これにはカラクリがありまして・・・

実はトミーは飼い主の目線で指示されたものを持ってきていただけで、実際に問題に答えていたのは飼い主のほうだったのです。
ともあれアイコンタクトに忠実に従うワンちゃんというのも芸達者なものです。
国を挙げてお犬様に「一杯食わされて」しまったトミーブームでした。
こんな愉快なショーを、たくさんのお客さんが劇場に詰めかけて楽しめる日が再びやってくるといいですね。

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【収蔵品紹介07】糟谷磯丸(かすやいそまる)筆の和歌

糟(かす)谷(や)磯(いそ)丸(まる)(1764~1848)筆の和歌を紹介しましょう。磯丸は三河の伊良湖出身、江戸時代後期の歌人です。三河のほか各地を旅して和歌を詠んでいます。磯丸の歌には病気平癒・無病息災を祈願したものが多く、この磯丸の歌を所持すると病が治ったり、病を免れるという伝承があり、各地で大事に保存されました。

疱瘡かるきうた
かゝるとも身にハさはらぬつゆ計(ばかり)もらすもがさの神にいのらん
八十あまり四つの翁磯丸

磯丸84歳の時の歌で疱瘡に関して詠んだものです。疱瘡は天然痘で重くなると死に至ります。軽く済むことを神に祈願したものです。新型コロナの特効薬のない現在は、疱瘡に特効薬のなかった磯丸の時代と同じです。罹っても重症化しないように神に祈るしかありません。この一幅を所持していた人の思いは、現代の新型コロナに対する私たちの思いに通じます。

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【収蔵品紹介06】《天光散》(てんこうさん) 安田侃 1992 大理石

  • 《天光散》(てんこうさん) 安田侃 1992 大理石

    《天光散》(てんこうさん) 安田侃 1992 大理石

  • 《天光散》(てんこうさん) 安田侃 1992 大理石

    《天光散》(てんこうさん) 安田侃 1992 大理石

当館の屋外には野外彫刻作品が点在しています。今回はその中から美術館と他の施設をつなぐ「風の道」の西側斜面に起立する安田侃(やすだかん/1945-)の《天光散》をご紹介します。
作者の安田侃は北海道美唄市に生まれ、現在はイタリアを拠点にして、大理石やブロンズによる彫刻を中心に制作し、世界的に活躍しています。
《天光散》は全長4メートル、13トンという質量を保持した大理石を材料としていますが、見たところ、堅固な石彫という質感はありません。乳白色で丸みを帯びた滑らかなかたちは、柔らかさや動きを感じさせます。その温柔な巨体は周囲の木々や草花と同じように、地面からにょきにょきと生えて天へと伸びているようにも見えます。
このような大きな作品をどのようにして作ったのでしょう。作家の発想や造形力にはたびたび驚かされますが、周囲の自然と調和した不思議なフォルムの成形は、同じく自然の一部である人間だからこそ成し得たのかもしれません。

当館の収蔵品は館内の展示に限らず、屋外でいつでもお楽しみいただける環境となっています。長い自粛期間が明けて、日々の暮らしが慎重にも緩やかに戻りつつあると思いますので、朝夕のお散歩に、週末のピクニックに、軽い運動を兼ねて自然と美を体感しに、ぜひ美術博物館をご活用ください。

 

【収蔵品紹介05】時の記念日チラシ

6月10日は時の記念日。日本で初めて「時計」という装置が使われた日を記念し、大正9年(1920)に制定された記念日です。今年は100周年にあたります。
当時の日本は時間にルーズで、生活改善同盟会が日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けました。
『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(現在の暦で671年6月10日)に記されている「漏尅(ろうこく)」という水時計が日本初の時計装置といわれ、これが鐘を打った日が6月10日であることから、この日に定められたとされます。

今年になって、私たちが当たり前に過ごしてきた普通の生活は、新型コロナウイルスによって大きく様変わりさせられました。これまでとくに意識することなどなかった日常生活の大切さを実感した人も多いのではないでしょうか。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、感染防止のための制限付き、自粛を強いられる新しい生活様式が求められています。時間との新しい接し方を探りながら、コロナ禍を乗り越えていきましょう。

時の記念日チラシ
昭和5年(1930)・26.8×19.5cm

【収蔵品紹介04】橋本関雪≪帰去来図・武陵桃源図≫ 昭和時代

  • 橋本関雪≪帰去来図・武陵桃源図≫ 昭和時代(岡崎市美術博物館蔵)

    橋本関雪≪帰去来図・武陵桃源図≫ 昭和時代(岡崎市美術博物館蔵)

そびえ立つ緑青の岩山の麓、可憐な桃の花が咲き乱れる道で、漁師と村人が挨拶を交わしています。
本図は東晋を代表する詩人陶淵明(とうえんめい)の「桃花源記」を画題とした屏風で、俗世間を離れた東洋の理想郷「桃源郷(とうげんきょう)」が描かれています。
官吏を辞して、故郷の田園で晴耕雨読の生活を送った陶淵明への憧れを込めて、多くの作家たちにより理想の世界として作品化されました。
煩わしい世を離れ、金色にきらめく麗らかな桃源の世界に、誘われてみませんか。

橋本関雪 ≪武陵桃源図≫ 昭和時代(20世紀)絹本金箔地著色/152.0㎝×340.0㎝(岡崎市美術博物館蔵)
※この作品は、収蔵品展「贅沢な対話」の第2話で展示しておりました。

【収蔵品紹介03】マックス・エルンスト「風景」

  • 1939年/油彩、紙を添付したキャンバス/16.2×22.0㎝

    1939年/油彩、紙を添付したキャンバス/16.2×22.0㎝

作者は偶発的にできた絵具のにじみを眺め、それが何かに見えてくるという着想を得て、そのにじみに加筆を施してこの「実在しない」風景を描きました。これは、私たちがぼんやり雲を眺めるとき、無意識に何かのかたちに見えてくることと同じ現象であり、美術においては、意識の介在なしで制作するオートマティズム(自動書記)と呼ばれる手法です。
マックス・エルンストはシュルレアリスムの画家・彫刻家として、現実離れした奇怪で幻想的な作品を多く制作しました。彼が本作を描いたのは1939年、第二次世界大戦が開戦した年です。制作の背景には、命を脅かす「戦争」という脅威のもと、意識では整理しきれない、通常の思考回路ではエラーが出てしまう異常な社会状況がありました。
コロナウイルスの感染が拡大し、命を脅かす「病」の不安に苛まれているこの数か月、私たちもまた、現実離れした奇妙な日常を過ごしています。閉ざされた「家」から、私たちは意識というカーテン、現実という窓の外に手を伸ばす。その指先に触れるのは、「無意識」や「超現実」なのかもしれません。コロナ下の新しい日常という地点から私たちが眺めているのは、エルンストが描いた「風景」と同じ地平にある現実の向こう側なのではないでしょうか。

マックス・エルンスト「風景」
1939年/油彩、紙を添付したキャンバス/16.2×22.0㎝

【収蔵品紹介02】昭和3年ころの結核予防デーのチラシ

今でこそ結核は縁遠い印象をうける病気ですが、1950年ころまでは10万人あたり死亡者が年150人を超え、「亡国病」とまで呼ばれていたそうです。
それが徹底した健診・予防接種・抗生物質の普及により、急激に感染者数が減少していきました。
それ以前の状況下で出されたこのチラシからは、予防と健康増進に注意がはらわれていたことがうかがえます。
「消毒を完全にせよ」
「迷信にまような」
などは、現在にも通じるところがあるように思います。
新型コロナウイルスに対し今はまだ有効な治療法が見つかっていませんが、いつかきっと乗り越えられる。
このチラシを見たとき、そう思わせてくれました。

〈参考文献〉
森亨「日本の結核流行と対策の100年」(『日本内科学会雑誌』91-1、2002年)

【収蔵品紹介01】浮世絵師・歌川国芳の出世作

歌川国芳は江戸時代末期に活躍した浮世絵師です。
幼いころから画力に評判のあった国芳は10代でデビューしますが、活動当初から20代にかけては絵師としてふるわず不遇の時代を過ごしました。
そんな国芳が一躍脚光を浴びる契機となった出世作が、今回ご紹介する『通俗水滸伝豪傑百八人一個(壹人)』の連作です。

国芳は中国の伝奇『水滸伝』に登場する108人の豪傑の姿を創意工夫によって表現しました。
本作の画面の奥で神妙な面持ちをした老人が豪傑・安道全です。どんな病気も治療できる名医であることから、「神医」のあだ名がついています。
本作に該当する場面は『水滸伝』には見当たりませんが、豪傑たちに数々の治療を施した安道全の手腕をうかがうことのできる作品です。

今こそ神医の力にあやかりたい!
歌川 国芳(うたがわ くによし)
『通俗水滸伝豪傑百八人一個 神醫安道全 母大蟲顧大嫂』
(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにんのひとり しんいあんどうぜん ぼだいちゅうこだいそう)

文政末~天保前期(1828~33)頃 大判錦絵 岡崎市美術博物館蔵
参考:『歌川国芳 水滸伝の世界』2017年 岡崎市美術博物館

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