家康公の子どもたち

1男/信康/のぶやす

永禄2年(1559)、駿府に生まれた。幼名竹千代。母は築山殿関口氏。同6年に織田信長の女五徳(徳姫)と婚約し、10年に結婚した。元亀元年(1570)、元服して岡崎城主となる。織田信長から武田氏に内通したとの嫌疑をうけ、信長の力に抵抗できず、天正7年(1579)に二股城で自刃した。21歳。

1女/亀姫/かめひめ

永禄3年(1560)、駿府に生まれた。母は築山殿関口氏。天正4年(1576)に三河新城城主の奥平信昌と結婚。信昌が慶長6年(1601)に美濃加納10万石に封ぜられて同地に住したので、加納御方、加納御前と呼ばれる。信昌没後、尼となり盛徳院と称した。寛永2年(1625)没。66歳。

2女/督姫/とくひめ

永禄8年(1565)、岡崎に生まれた。母は鵜殿氏西郡の局。家康と北条氏直の甲斐・信濃をめぐる対立の和議条件により、天正11年(1583)に氏直と結婚。氏直は小田原の陣で督姫の故を似て助命されるが病死し、2人の間に子がなかったので督姫は 徳川家に戻った。文禄3年(1594)、池田輝政に再嫁。輝政没後、尼となり良正院と称した。元和元年(1615)没。51歳。

2男/秀康/ひでやす

天正2年(1574)、遠江有富村に生まれた。幼名於義丸。母は永井氏於万の方。天正12年(1584)の小牧・長久手の戦後、家康と秀吉の和議により秀吉の養子となり、羽柴三河守秀康を名のる。さらに、天承18年に下総結城氏5万石の跡目を相続し、 結城姓を称した。関ケ原合戦のときは、会津上杉氏を押さえる任務を負って宇都宮に留まり、戦後、越前一国67万石を領した。慶長12年(1607)没。34歳。

3男/秀忠/ひでただ

天正7年(1579)、浜松に生まれた。幼名長松。母は西郷氏於愛の方。天正18年上洛して聚楽弟で秀吉に会ったとき諱字を与えられ秀忠と名のる。関ヶ原合戦には西上するにあたり 東山道軍指令であったが、信州上田城攻めに手間取り決戦に遅れ、家康の叱責を受けた。慶長10年(1605)に家康のあとをうけて2代将軍となった。寛永9年(1632)没。54歳。

4男/忠吉/ただよし

天正8年(1580)、浜松に生まれた。幼名於次、福松丸。母は西郷氏於愛の方。同9年、東条松平家の跡目を相続した。天正12年の小牧・長久手の戦後、兄於義丸とともに人質として大坂の秀吉のもとに送られた。 家康関東入国ののちに武蔵忍10万石を与えられる。関ヶ原合戦時には、東海軍の先手の大将として起用されて功があり、戦後に尾張清洲城主52万石に加転される。慶弔12年(1607)没。28歳。

3女/振姫/ふりひめ

天正8年(1580)、浜松に生まれた。母は秋山氏於都摩の方(下山殿)。秀吉の命で文禄4年(1595)に蒲生氏郷の嫡子である秀行と婚約し、翌年結婚。秀行死後は浅野長晟と元和2年(1616)に再婚したが、翌年没した。38歳。 

5男/信吉/のぶよし

天正11年(1583)、浜松に生まれた。幼名万千代。母は穴山信君(梅雪)の養女である於都摩の方(下山殿)。武田姓を名乗った。文禄元年(1592)に下総佐倉4万石に封ぜられる。慶長7年(1602)には常陸水戸15万石に加転封 となるが、同8年に21歳で没した。

6男/忠輝/ただてる

文禄元年(1592)、江戸に生まれた。幼名辰千代。母は河村氏於茶阿の方。慶長4年(1599)、夭死した同母弟松千代のあとを承けて長沢松平家の名跡を継ぎ、武蔵深谷1万石を領した。関ヶ原の役を経て下総佐倉5万石、のちに 信州川中島12万石、さらに、慶長15年には越後高田60万石に移封。元和2年(1616)、改易に処されて追放。各地に転々と移され、元和3年(1683)に信濃上諏訪で没した。92歳。

7男/松千代/まつちよ

文禄3年(1594)、江戸に生まれた。母は河村氏於茶阿の方。長沢松平家を嗣いだが、慶長4年(1599)没した。6歳。

8男/仙千代/せんちよ

文禄4年(1595)、伏見に生まれた。母は志水氏於亀の方。平岩親吉の養子となったというが、慶長5年(1600)没した。6歳。

4女/松姫/まつひめ

文禄4年(1595)、伏見に生まれた。母は間宮氏。慶長3年(1598)没。4歳。

9男/義直/よしなお

慶長5年(1600)、伏見で生まれた。幼名は千代丸。五郎太丸。母は志水氏於亀の方。慶長8年(1603)、甲斐25万石を領有。同12年、家康4男の忠吉没後に尾張に移封される。 尾張徳川家の始祖。慶安3年(1650)没。51歳。

10男/頼宣/よりのぶ

慶長7年(1602)、伏見で生まれた。幼名福丸。母は正木氏於万の方。慶長8年に家康5男の信吉が没したあとを承けて、常陸水戸20万石を領有し、同9年には5万石加増された。

11男/頼房/よりふさ

慶長8年(1603)、伏見に生まれた。幼名鶴松。母は正木氏於万の方。太田氏於梶の方に養われた。慶長11年、常陸下妻10万石を領有。同14年に兄頼宣が駿河・遠江に移封 されたあとを承けて水戸25万石に封ぜられ、のち加増されて28万石を領有。水戸徳川家に始祖。寛文元年(1661)没。59歳。

5女/市姫/いちひめ

慶長12年(1607)、江戸に生まれた。母は太田氏於梶の方。伊達政宗の子忠宗と婚約したが、慶長14年の早世。4歳。