三河一向一揆を辿るコース(約6km/3時間)
日帰り
春
夏
秋
冬
三河一向一揆は、家康公の家臣が寺内の兵糧米を徴収したことが発端となり、一向宗寺院が不入権の侵害を訴え、家康公に反発したために起こった。家康公の主従の関係と信仰の間で揺れ動く家臣たちが、約半年にわたり敵・味方に分かれ争う凄まじい戦いであったが、三河統一の鍵となった。戦国大名として成長を遂げた家康公の軌跡と岡崎市南部にある三河一向一揆にまつわるお寺を巡る。
START
1
-
みょうげんじ
妙源寺
-
三河の浄土真宗で最も古いといわれる、高田派の寺院です。
太子堂(柳堂)は、正嘉2年(1258)に建立され、正和3年(1314)に再建された国の重要文化財です。
松平氏より尊敬されていたことにより、一向一揆の際、家康公が難を本寺に避けました。
本尊は判官九郎(源義経)の持仏であったということから、武将の縁起を担ぎ、家康公の所望により、陣中の守り本尊としながら、最後は東京の芝の増上寺に奉納しています。この縁により家康公は、「源」の1字をとり、明眼寺から妙源寺と改称しました。
法寶物の展示は8月7、8日に行っています。
2
-
じょうぐうじ
上宮寺
-
三河一帯にわたる永禄の一向一揆は、家康公の三河統一の試練ともなりました。
一揆のきっかけは、家康公の家来菅沼定顕が上宮寺から糧米を強制的に徴収しようとしたためでした。
上宮寺は当時、本願寺教団に於ける三河三ヵ寺と呼ばれ家康公に対抗しました。
1988年に本堂や庫裏などが全焼しましたが、1996年に銅版屋根の現代作りで再建されました。
3
-
しょうまんじ
勝鬘寺
-
和田山あるいは寂光山といい、三河における最初の真宗道場として鎌倉時代の正嘉2年(1258)、信願房了海により創建されました。
三河三ヶ寺のひとつに数えられ、1563年に起こった一向一揆の本拠であった寺のひとつでもあります。
激しい戦いの末、大伽藍も兵火により焼失しました。再興された現在の本堂は1734年に建てられたものです。
4
-
みょうこくじ
妙国寺
-
妙国寺は、家康公、秀忠公、家光公の三代に仕え「三河物語」を綴ったことで有名な大久保彦左衛門など、幕末まで続いた大久保一族ゆかりのお寺です。
大久保家の祖宇都宮歴代の墓塔や大久保家の遠祖供養塔が立っています。
5
-
じょうじゅいん
浄珠院
-
三河一向一揆に手を焼いた家康公は、浄珠院に本陣を置き、一揆制圧のため、自ら指揮をとりました。
激しい戦の後、永禄7年(1564)2月になって一揆方から提案された和議がここ浄珠院で成立したことから、三河統一の基礎を固めるきっかけとなった歴史的に重要なお寺とされています。
境内には樹齢約300年のイチョウの木がそびえ立ちます。
GOAL