伊賀八幡宮
家康公自立の物語
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家康公が青年武将として自立を果たすまでの物語。まず、今川氏の人質として少年期(竹千代)を送った家康公が14歳で元服(元信)した後、17歳で初陣(元康)を果たすまでを語る。その後19歳で桶狭間の合戦に出陣、義元の討死で敗軍の将となった元康は、逃げ帰った大樹寺で自刃しようとするが、住職の登誉上人によって生きる意味を諭され、「厭離穢土欣求浄土」の言葉を戴く。
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いがはちまんぐう
伊賀八幡宮
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松平家(徳川家の祖)の4代親忠は、文明2年(1470)に氏神として伊賀八幡宮を勧請し、松平家の守護神として創建されました。
5年後に氏寺(菩提寺)として創建の大樹寺と共に、江戸時代にわたっても将軍家の厚い崇敬をうけました。
家康も、大きな合戦の時には必ず参詣したといわれ、徳川家の武運長久・子孫繁栄の守護神とされています。
のちに3代将軍家光が境内整備し、家康公(東照大権現)を祀りました。
本殿・隨神門・神橋など、ほとんどが国の重要文化財です。
岡崎春の風物詩家康行列の出発地で、家康公の戦勝祈願に習って出陣式が行われます。
葵御紋のお守りは必勝祈願アイテムとして要チェック。
7月にははすの花も開花し、撮影スポットとしても人気です。
毎年1月の大寒の日に、28mはなれた場所から矢を放ち檜の的板のわれ具合によってその年の豊凶を占う「武者的神事」が行われ、その結果に毎年多くの観衆が関心を寄せています。
占いは「矢が的に当たる」「当たるが割れない」「2つに割れる」「3つ以上に割れる」の4段階で判定されます。
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だいじゅじ
大樹寺
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松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)松平家4代親忠公により勢誉愚底上人が開山しました。
かつて桶狭間の戦いで敗れた家康公が岡崎へ逃げ帰った際、大樹寺の周りを敵に取り囲まれこれまでと自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け切腹を思いとどまったことから、家康公再起の場として歴史的にも大きな役割を果たしたお寺。
境内にはその際に家康公が佇まれたと云われる松平家8代の墓や、国の重要文化財であり家康公の祖父・松平清康公が天文4年(1535)に建立した多宝塔などがあります。
また3代将軍家光公建立の山門を起点に岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は歴史的眺望「ビスタライン」と呼ばれ、約380年間守られてきた岡崎を代表する景観として知られています。
本堂内の拝観受付奥から始まる大方丈・位牌堂拝観ルートでは、「将軍御成りの間」に描かれた幕末の大和絵師・冷泉為親作「襖絵(障壁画)」の精巧な復元画や、桶狭間の戦い後に大樹寺に逃げ込んだ家康公を守ったかんぬきを厨子にいれ祀った「貫木神」、歴代将軍家等身大位牌や、家康公73歳の時の木像などが拝観できます。
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