岡崎ってこんなまち

地階展示

源頼朝、足利尊氏、徳川家康、と三河に深い関係を持つ3人が、相次いで武家政権を樹立しました。ここでは「天下を取らせた三河の風土」を、家康の活動とともにご覧いただきます。
徳川家康の祖・松平一族は、賀茂郡松平郷の松平親氏を初代とします。ここでは親氏から家康の祖父である清康までの人物像と、三河譜代について紹介します。
家康は松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれ、竹千代と名付けられました。家康は6歳から19歳までの12年間、織田氏と今川氏のもとで暮らすことになりました。松平領はその枠組みを残しつつ、今川氏の領国に組み込まれました。ここでは松平氏にとって激動の時代であった家康の幼少期について紹介します。
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、家康は岡崎城に戻り、自立します。翌年には今川氏を離れ、織田信長と手を結ぶ決意をします。永禄6年には元康から家康に名を改めます。その後、三河一向一揆、三河全土の平定、徳川への改姓を経て、名実ともに戦国大名の確固たる地位を築き上げたのです。ここではその過程について紹介します。
三河平定後、遠江を制した家康は居城を浜松に移し、武田信玄との抗争に入ります。信玄、信長の死後、甲斐・信濃の計略に成功し、家康は五ヶ国を領国とする大名となりました。その後、羽柴(豊臣)秀吉に臣従しますが、秀吉が亡くなると関ヶ原の戦いに勝利し、天下人の立場を確かなものとしました。ここではその過程を紹介し、またジオラマシアターにて、関ヶ原の戦いを再現します。
征夷大将軍に任じられた家康は、江戸幕府を開き270年におよぶ幕藩体制の基礎を築きました。その後は駿府に引退する形をとったものの、大御所として政務を取り仕切り、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼしました。ここでは家康の大御所時代から生涯を閉じるまでを紹介します。
家康の一生は武勇のみならず、活字印刷の出版事業や平和外交など為政者としての活動のほか、鷹狩り、健康への指向など個人趣味まで、様々なことで彩られています。これらからは家康の人となりを知ることができます。家康は死後、神格化され東照大権現として東照宮に祀られます。ここでは「人間家康」と「神君家康」それぞれの一面をご覧いただきます。
家康の生誕地であり、青壮年期を過ごした岡崎には、家康にまつわる逸話や伝承が多く残っています。また、浜松・駿府に移ってから亡くなるまでの人となりを伝える説話集や言行録が、江戸時代を通じ数多く編纂されました。これらは、教訓的・通俗的なものも多いのですが、私たちの想像する家康像はそれらから作り上げられた部分が大きいのです。ここではその一部を紹介します。
これまでも人気のあったジオラマシアターを、家康が語るストーリーに刷新しました。家康をより身近に感じていただくとともに、ダイナミックな映像とプロジェクションマッピングを用いた迫力のある演出で、合戦の流れをわかりやすくご覧いただけます。
火縄銃や長槍などの模型を設置し、実際手に取り重さを体感できます。また、兜を被っての記念撮影もしていただけます。

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