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観光大使の二人が法蔵寺にやってきました!

法蔵寺にやってきました!

  • 法蔵寺です

    法蔵寺です

  • 東海道の碑

    東海道の碑

  • 江戸時代、賑わっていたんですね

    江戸時代、賑わっていたんですね

  • 駐車場はとても広いです

    駐車場はとても広いです

岡崎市東部の本宿町。
「法蔵寺」は、国道1号から少し入ったところにあります。

徳川家康公ゆかりの寺「法蔵寺」は、701年行基による開山といわれています。松平家や家康公にまつわる言い伝えがたくさんあるのはもちろんのこと、日本武尊の伝説や東海道を行き交う人々の憩いの泉と言われたご霊泉があり、さらには幕末期に活躍した「新選組」の近藤勇の首塚があるなど、見どころの多いお寺です。

竹千代は法蔵寺へ手習いに通ったといわれています

家康公は幼少のころ、こちらの住職から読み書きの手習いを受けたといわれ、手習いをした草紙を自ら植えた松の木の枝に干したと伝えられています。
お手植えのその松は「草紙かけ松」として受け継がれてきました。
大切にされていましたが虫の害により枯れてしまい、地元の方たちにより植樹されました。
こちらがその松。現在4代目とのことです。

東海道を歩く旅人の憩いの泉「賀勝水」

竹千代(のちの家康公)は、手習いの水をこちらから汲んだと言われています。
また日本武尊の伝説も残されています。
日本武尊が東国征伐のときに、法蔵寺の南の山頂で祈りをささげたところ、こちらの岩の中から冷たい泉がほとばしり出ました。
武尊はおおいに喜び「戦い我に利あり」「賀勝」と叫ばれたそうです。
こちらの泉の水を飲んだ兵士たちは、たちまち疲れがとれ、病の者も立ち上がるという不思議なことが起きました。
のちには東海道を往来する人たちの憩いの泉として喜ばれたそうです。
今も枯れることのない、とても澄んだ水のご霊泉です。

本殿

  • 本殿です

    本殿です

  • 覗いてみました

    覗いてみました

  • 見どころいっぱいです

    見どころいっぱいです

  • 市指定文化財 イヌマキ

    市指定文化財 イヌマキ

  • イヌマキと桜の木も市指定文化財なんですね

    イヌマキと桜の木も市指定文化財なんですね

  • 桜の木

    桜の木

  • 六角堂

    六角堂

鐘楼門をくぐると、本殿が見えてきます。
とても立派で、厳かな空気が感じられました。

境内はとてもわかりやすく案内されています。
こちらには市の天然記念物に指定されている貴重な木が2本もあります。
本殿に向かって右側にある大きな「イヌマキ」。行基菩薩が開山のときに植えられたとのことです。
樹齢1,200年以上と言われ、600年ほど前には大きな雷から寺を守ったことから「身代わりの槇」とも言われているそうです。
そして「家康公お手植えの桜」と伝えられるヤマザクラ。
1度は枯れてしまいましたが、幹の腐蝕したところから若木が出てきて、今のように大きくなったそうです。

そして本殿左手の観音様がまつられている六角堂の奥に、いよいよ新選組の局長の首塚があるようです。

近藤勇の首塚へ

  • 以前、大河ドラマ「新選組」が放送されたときには、たくさんの方が訪れたという首塚。

    以前、大河ドラマ「新選組」が放送されたときには、たくさんの方が訪れたという首塚。

以前、大河ドラマ「新選組」が放送されたときには、たくさんの方が訪れたという首塚。
幕末に活躍した近藤勇が東京の板橋で処刑されたことは学んだことがありますが、首塚がなぜ岡崎にあるんでしょうか。

近藤勇は東京で処刑された後、首は京都の三条河原にさらされたそうです。
生前、近藤勇は京都誓願寺の義天和尚を崇拝していたため同士が埋葬を頼んだところ、半年前に岡崎の法蔵寺の住職に転任していたため、岡崎まで運んで埋葬を依頼したといわれています。
世間をはばかりひっそりと埋葬するには山の中にある法蔵寺はとても適していたようです。

確かな記録かどうかという話もあるそうですが、台座に刻まれた土方歳三をはじめとした志士の名前や近藤勇の像を見ていると、私たちの知らない幕末に確かに生きていた命が、私たちの生きる今につながっていることを感じ、不思議な気持ちになりました。

三方ヶ原の戦い

  • 松平家霊廟

    松平家霊廟

  • 三方ヶ原の合戦忠死者の墓

    三方ヶ原の合戦忠死者の墓

近藤勇の首塚の向かい側には、松平家の霊廟が建てられていて、続いてぐるっと小さな供養塔がたくさん並んでいます。
こちらは武田信玄と戦った「三方ヶ原の戦い」で、家康公を守って命を捧げた家臣たちを供養して建てられたものだそうです。
家康公が大敗し命の危機に直面したという「三方ヶ原の戦い」。
家康公の悔しさが「しかみ像」でよく紹介されていますが、大切な家臣への思いも知ることができました…。

東照宮

さらに数歩上ると東照宮が建てられています。
家康公が元康公の頃、出陣の際に戦勝、開運祈願に訪れていたと言われています。
高台にあることから、本殿を見下ろす位置となっています。
修復により彫や色などもきれいで、控えめなたたずまいながらも威厳を感じられました。

様々な時代に深い関わりを持ってきた法蔵寺。
法蔵寺の歴史には、まだまだ私たちの知らないことがたくさんありそうです。
 
この記事を書いた人
2017観光大使おかざきの白井梨花と田村汐里です!

2017観光大使おかざきの白井梨花と田村汐里です!

2017観光大使おかざきの白井梨花と田村汐里です!
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