松平氏進出の物語
奥殿陣屋は持統上皇が命名されたと伝えられる花ぞの山(村積山)のふもと、郡界川と霞川に潤され、千三百余の歴史を持つ花園の里にあります。
奥殿松平家の初代は真次で二代将軍秀忠の家来として、大阪の陣に活躍し、寛永四年大番頭(おおばんがしら)に抜擢されました。
その後、上野国に領地を与えられたが、希望により三河の地に替えられ第二代乗次の時に大給恒藩となりました。
第四代乗真の時、奥殿に陣屋を移し奥殿藩が誕生しました。
奥殿陣屋は、表御殿、書院、藩主住居、地方役所、学問所、道場、代官士分等の住居など三十三棟が並んでいたと伝えられます。
これらの建物は、慶應三年四月、田野口城(のちの竜岡城となる)の完成で藩の業務が信州佐久郡田野口村に移ってから、少しずつ移築されたり取り壊されたりしていきました。
このコースは、松平氏が松平(現豊田市)から岡崎城へ進出した足取りを追います。
おすすめの季節
日帰り
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まつだいらとうしょうぐう
松平東照宮
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徳川家の前身である松平家、その発祥の地が豊田市松平町です。この地には松平太郎左衛門家が代々治めており、その屋敷神であった八幡宮に家康公を合祀して松平東照宮となりました。
松平家が代々産湯に使った井戸が今も残されており、家康公が生まれた際にもこの井戸の水が早馬で岡崎城まで届けられました。
他にも近隣には松平家初代親氏の銅像や松平氏の菩提寺である高月院など、見所が満載です。
家康にちなんだ名物天下餅が食べられる天下茶屋があり、うどんやそばも絶品です!
車で約10分
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おぎゅうじょうし
大給城址
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豊田市南東部にある松平家ゆかりの城址です。
元は別の豪族が築いたものですが、松平三代信光が攻略し松平家が入城。大給松平家という分家の起こりとなりました。
大給錠は標高200mほどの山頂にあり、物見岩という大きな岩から豊田市街や遠く名古屋のビル群などを一望できます。
車で約20分
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おくとのじんや
奥殿陣屋
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奥殿陣屋は、その昔、持統天皇が命名されたと伝えられる花ぞの山(村積山)の麓、徳川氏の発祥地松平郷に程近く、1万6千石の親藩として奥殿藩の歴史と文化を今に残しています。
奥殿松平家がこの地を統治したことを発端に、陣屋が移され奥殿藩が誕生したことが奥殿陣屋の始まりです。
小高い丘の上に白壁の土塀と士族屋敷の一部が残り、江戸初期の風格を活かして復元された金鳳亭と蓬莱の庭の風情は格別!
春のユキヤナギ、スイセンからバラ・花菖蒲・あじさい・ユリ・はぎ・もみじ・つばきなど四季折々に美しく咲きほこる花園の里です。
場内には、書院、金鳳亭、蓬莱の庭、資料展示室、花火資料室、玄々斎宗室生誕碑、歴代藩主の廟所があります。
金鳳亭では四季折々の庭園風景を眺めながら季節の料理が楽しめます。
車で約10分
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しょうみょういん
松明院
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応安元年(1368)、松平村大給に小さな仏堂が建てられ、これをのちに初代大給城主松平乗元(松平氏4代親忠公の次男)が再建して松明院と名付けたことに始まります。
開山は隣翁本六和尚で、乗元の弟と伝えられています。
乗元は、細川城をも併有し、両地域の土地を領有し、乗元が死んでからその戒名である松明院をとって寺名としました。
その後、5代真乗の時、天正10年(1582)に今の所へ移転され、大給松平家、奥殿松平家の菩提寺と定められました。
総門右手にある三十三観音堂とスイレンの美しい風景は撮影スポットとして人気です。
車で約10分
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しんこうみょうじ
信光明寺
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岩津城主の松平3代信光が宝徳3年(1451)に祖父親氏・父泰親の菩堤のため、岩津に創建した寺院です。
往時、壮麗を誇った建物は伊勢新九郎に放火され焼失しましたが、焼け残った観音堂は、文明10年(1478)に建てられたもので国の重要文化財です。室町中期の禅宗的趣味が明確に現れています。
他にも山越阿弥陀如来像や雲中阿弥陀如来像など、多くの文化財が残されています。
また、慶長7年(1602)には家康が120石余の領知朱印状を出しています。
この寺には、山越阿弥陀如来像(室町時代)、雲中阿弥陀如来像(南北朝時代)など多くの文化財も残されています。
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