GO FOR IT !(地域に関連する2020東京オリンピック・パラリンピック情報)
GO FOR IT !(三菱自動車岡崎工場 中川大輔選手:パラ陸上トラック競技1,500m)
今回は、愛知県で4名選出されている東京パラリンピック陸上競技の強化選手のうちのひとり、知的障がいを持つ中川大輔(ナカガワ ダイスケ)選手とお母様の直美様にお話を伺うことができました。
9月末の夕方、中央総合公園のトレーニング室に中川選手は直美様とご一緒にお見えになられました。
この日は天気が悪く、室内でトレーニングをしようということになり、久しぶりに訪れて頂いたとのことでした。
トレーニング室は久しぶりとのことでしたが、中央総合公園へはよく走り込みのトレーニングに来て頂いているようで、夏には気温が上がりきらない朝に、駐車場で走り込みをされている中川選手と、その姿を車の中から見守る直美様の姿を見かけることがよくありました。
直美様に了承を得て、トレーニングの様子を拝見させて頂きました。トレーニング室では入念なストレッチを行った後、体の各部位の筋力トレーニングを直美様のアドバイスのもと、ひとつひとつ確認をするように丁寧に行っていました。
1時間半ほどトレーニングを行った後、体育館事務所へお越し頂き、お話を伺いました。
ここで改めて中川大輔選手の紹介をさせて頂きます。
現在28歳、三菱自動車岡崎工場勤務。東京パラリンピック陸上トラック競技強化選手で、2015年にはドーハで開催されたIPC陸上競技世界選手権大会の5,000mで金メダルを獲得するなどの輝かしい成績をおさめている、日本パラ陸上界のトップアスリートです。
実は中川選手がパラスポーツ界で頭角を現し始めたのは水泳競技だったとのこと。水泳は3歳からスイミングクラブに習い始め、高校卒業後しばらくするまで続け、多い時は2つのスイミングクラブを掛け持ちし、1週間に6回ほど通っていたそうです。通っていた岡崎市立東海中学校の部活動も水泳部に所属して、中学・高校ではスイミングクラブの選手コースで練習に励み、好きな種目の平泳ぎやメドレーでも大会に出場していたそうです。
一方、陸上はといえば、東海中学校時代の校内マラソン大会では陸上部員よりも早くゴールをするなど長距離を走るのが得意で、駅伝大会の時期になると先生の薦めで駅伝部へも入部していたそうで、豊川特別支援学校高等部へ入学すると陸上部へ入部し、陸上の大会にも出場するようになったそうです。
このように学生時代は水泳と陸上の両方で選ばれて大会へ出場して活躍されていました。
高校卒業後、三菱自動車岡崎工場へ就職して今までの環境とはガラリと変わり、水泳についてはスイミングクラブに通うことが難しくなってきたそうです。陸上については会社の陸上部へ所属し、寮の近くの岡崎城西高校のグラウンドで練習を行っていたため、陸上に専念するようになりました。
陸上の大会では主にトラック競技の1,500mと5,000mに出場していて、5,000mの方を得意としているそうです。しかし、2020年の東京パラリンピックでは競技種目が1,500mしかないとのことで1,500mでの出場を目指しています。東京パラリンピックの出場選手は来年の夏頃に決定する予定で、出場するには数少ない公認大会で結果を残してランキングを上げていくことが必要だということです。ただ、パラリンピックの出場枠は種目ごとに出場枠がある訳ではなく、全体としての出場枠が決まっており、上位入賞の可能性の高い選手から優先的に出場が決定されていく仕組みになっていて、出場権を獲得するのは非常に厳しいとのことです。
終始、殆どの受け答えをして頂いた直美様は、この日のトレーニング室で中川選手にずっと付き添っておられたように、今までもずっとすぐ傍で中川選手を支え続けてこられたのでしょう。陸上競技経験者でもない直美様が中川選手をサポートし続けてこられるのは大変なご苦労があったことと思います。
今回、東京パラリンピックが開催されることになって、やっと日本も少しずつですが、障がい者への理解やサポートが進んだと仰っていました。ただ、障がい者の中でも身体的な障がいは分かりやすいため、メディアでも取り上げることが多く、社会に認知され理解を得られやすいと思いますが、知的障がいなどは見た目では分かり難く、社会的認知も低いため、理解を得ることも難しいと思われます。パラリンピックの日本開催を機に社会的認知が高まり、中川選手のようなアスリートが競技に専念できるよう、経済的にもバックアップされる環境が整っていくことを期待します。
最後に東京パラリンピックについての意気込みをお聞きしたところ、中川選手は会社の人や周りの人が応援してくれて、その人たちが喜ぶ姿を見ると嬉しくなるので、頑張って出場したいそうです。直美様が中川選手に「東京パラリンピック、出たいんだよね?」と聞くと「はいっ!」と元気のよい返事が返ってきました。
直美様にお話を伺っている途中から、お仕事の後のトレーニングでの疲れからか、中川選手はとても眠そうにしてらっしゃいましたが、最後にはとびっきりの笑顔で写真撮影に応じて頂きました。近くで拝見していて感じたのは、おふたりのとても強い絆と中川選手の純粋さでした。直美様の献身的なサポートと中川選手の純粋さからくるひたむきな姿勢がなければ、トップアスリート中川大輔は誕生していなかったのではないかと思います。
岡崎中央総合公園はこれからも中川大輔選手を応援していきます!
9月末の夕方、中央総合公園のトレーニング室に中川選手は直美様とご一緒にお見えになられました。
この日は天気が悪く、室内でトレーニングをしようということになり、久しぶりに訪れて頂いたとのことでした。
トレーニング室は久しぶりとのことでしたが、中央総合公園へはよく走り込みのトレーニングに来て頂いているようで、夏には気温が上がりきらない朝に、駐車場で走り込みをされている中川選手と、その姿を車の中から見守る直美様の姿を見かけることがよくありました。
直美様に了承を得て、トレーニングの様子を拝見させて頂きました。トレーニング室では入念なストレッチを行った後、体の各部位の筋力トレーニングを直美様のアドバイスのもと、ひとつひとつ確認をするように丁寧に行っていました。
1時間半ほどトレーニングを行った後、体育館事務所へお越し頂き、お話を伺いました。
ここで改めて中川大輔選手の紹介をさせて頂きます。
現在28歳、三菱自動車岡崎工場勤務。東京パラリンピック陸上トラック競技強化選手で、2015年にはドーハで開催されたIPC陸上競技世界選手権大会の5,000mで金メダルを獲得するなどの輝かしい成績をおさめている、日本パラ陸上界のトップアスリートです。
実は中川選手がパラスポーツ界で頭角を現し始めたのは水泳競技だったとのこと。水泳は3歳からスイミングクラブに習い始め、高校卒業後しばらくするまで続け、多い時は2つのスイミングクラブを掛け持ちし、1週間に6回ほど通っていたそうです。通っていた岡崎市立東海中学校の部活動も水泳部に所属して、中学・高校ではスイミングクラブの選手コースで練習に励み、好きな種目の平泳ぎやメドレーでも大会に出場していたそうです。
一方、陸上はといえば、東海中学校時代の校内マラソン大会では陸上部員よりも早くゴールをするなど長距離を走るのが得意で、駅伝大会の時期になると先生の薦めで駅伝部へも入部していたそうで、豊川特別支援学校高等部へ入学すると陸上部へ入部し、陸上の大会にも出場するようになったそうです。
このように学生時代は水泳と陸上の両方で選ばれて大会へ出場して活躍されていました。
高校卒業後、三菱自動車岡崎工場へ就職して今までの環境とはガラリと変わり、水泳についてはスイミングクラブに通うことが難しくなってきたそうです。陸上については会社の陸上部へ所属し、寮の近くの岡崎城西高校のグラウンドで練習を行っていたため、陸上に専念するようになりました。
陸上の大会では主にトラック競技の1,500mと5,000mに出場していて、5,000mの方を得意としているそうです。しかし、2020年の東京パラリンピックでは競技種目が1,500mしかないとのことで1,500mでの出場を目指しています。東京パラリンピックの出場選手は来年の夏頃に決定する予定で、出場するには数少ない公認大会で結果を残してランキングを上げていくことが必要だということです。ただ、パラリンピックの出場枠は種目ごとに出場枠がある訳ではなく、全体としての出場枠が決まっており、上位入賞の可能性の高い選手から優先的に出場が決定されていく仕組みになっていて、出場権を獲得するのは非常に厳しいとのことです。
終始、殆どの受け答えをして頂いた直美様は、この日のトレーニング室で中川選手にずっと付き添っておられたように、今までもずっとすぐ傍で中川選手を支え続けてこられたのでしょう。陸上競技経験者でもない直美様が中川選手をサポートし続けてこられるのは大変なご苦労があったことと思います。
今回、東京パラリンピックが開催されることになって、やっと日本も少しずつですが、障がい者への理解やサポートが進んだと仰っていました。ただ、障がい者の中でも身体的な障がいは分かりやすいため、メディアでも取り上げることが多く、社会に認知され理解を得られやすいと思いますが、知的障がいなどは見た目では分かり難く、社会的認知も低いため、理解を得ることも難しいと思われます。パラリンピックの日本開催を機に社会的認知が高まり、中川選手のようなアスリートが競技に専念できるよう、経済的にもバックアップされる環境が整っていくことを期待します。
最後に東京パラリンピックについての意気込みをお聞きしたところ、中川選手は会社の人や周りの人が応援してくれて、その人たちが喜ぶ姿を見ると嬉しくなるので、頑張って出場したいそうです。直美様が中川選手に「東京パラリンピック、出たいんだよね?」と聞くと「はいっ!」と元気のよい返事が返ってきました。
直美様にお話を伺っている途中から、お仕事の後のトレーニングでの疲れからか、中川選手はとても眠そうにしてらっしゃいましたが、最後にはとびっきりの笑顔で写真撮影に応じて頂きました。近くで拝見していて感じたのは、おふたりのとても強い絆と中川選手の純粋さでした。直美様の献身的なサポートと中川選手の純粋さからくるひたむきな姿勢がなければ、トップアスリート中川大輔は誕生していなかったのではないかと思います。
岡崎中央総合公園はこれからも中川大輔選手を応援していきます!