しょうれんじ
勝蓮寺
真宗大谷派の当寺は、河原山と号し、天台宗の僧恵堯が師の恵心作の薬師如来を矢作の里の柳樹の元に御堂を建てて納め、柳堂薬師寺と称したことが起源といわれています。
その後、嘉禎元年(1235)に、当寺の別当舜行が親鸞聖人の法弟となり、恵眼の法名を受け真宗に改められました。
松平8代広忠公、家康公、信康公、石川日向守などの崇敬が厚く、特に17代住職行誓の時には松平信康公と関係が深く、多くの遺品が保存されています。
本尊の阿弥陀尊像は親鸞聖人から与えられたものといわれています。
その後、嘉禎元年(1235)に、当寺の別当舜行が親鸞聖人の法弟となり、恵眼の法名を受け真宗に改められました。
松平8代広忠公、家康公、信康公、石川日向守などの崇敬が厚く、特に17代住職行誓の時には松平信康公と関係が深く、多くの遺品が保存されています。
本尊の阿弥陀尊像は親鸞聖人から与えられたものといわれています。
DATA
基本情報
住所 | 〒444-0943 愛知県岡崎市矢作町宝珠庵16 |
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アクセス | 名鉄「東岡崎駅」より名鉄バス安城駅前行他「矢作橋」下車徒歩1分 |