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二十七曲りとは
徳川家康公が関八州の太守として駿府城から江戸に入ったのが天正18年(1590)8月。同年10月には、豊臣側の田中吉政が岡崎城に入城して城下の整備にとりかかりました。吉政は、矢作川に初めて橋をかけ、菅生川の南にあった東海道を城下へ引き入れました。
城下の道は、外敵には城までの距離を伸ばし、間道を利用して防衛することができる屈折の多い道が常で、岡崎はその典型。これが二十七曲りです。
吉政は10年かかって二十七曲りの城下町を造ったといわれていますが、徳川の安定政権が続くと防衛の意味もなくなり、城下町・宿場町として栄えていきました。二十七曲りは、欠町、両町、伝馬通から籠田町を抜け、連尺通、材木町、田町、板屋町、八帖町、矢作橋とつながっており、現在のまちなかに、二十七曲りを示す碑を見つけることができます。
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八丁蔵通り
岡崎城から八丁(約870m)離れていたことからその名がついた八丁村。そこで造られていた味噌なので「八丁味噌」と呼ぶようになり、現在でも2軒の蔵元が八丁味噌を造っています。味噌蔵のたち並ぶ狭い路地には、昔の風情が残っています。
唐弓弦の看板
江戸時代の街道筋の家の様子を今に残す、かつて唐弓弦商を営んでいた森権治郎氏の家。唐弓弦というのは、綿打ちの道具で、かつての三河木綿の特産地・岡崎の面影を伝える姿です。
岡崎信用金庫資料館(旧商工会議所)
大正6年(1917)に建てられたルネッサンス様式を採り入れたレンガ造りの洋館で、世界の珍しい貨幣や岡崎の経済の歴史が展示されています。
矢作橋・出合之像
岡崎宿「二十七曲」の西はずれにあった矢作橋は、江戸時代には東海道で最も長い木橋でした。また、豊臣秀吉と蜂須加小六がこの橋の上で出会ったという伝説がのこっており、欄干にはその様子を再現した「出合之像」があります。
*現在は矢作橋の架け替え工事のため、一時的に撤去されています。
欠町・二十七曲の碑
二十七曲がりの出発地点にあり、東海道(二十七曲)がどのように市内を通っていたのかをわかりやすく石碑に表示してあります。
郷土館
建物には、大正2年(1913)に額田郡公会堂・物産陳列所として当時の洋風建築を忠実にk採り入れて建てられたもので、国の重要文化財になっています。昭和44年に市郷土館となり、岡崎の歴史をテーマにした展示が行われています。郷土が生んだ世界的な地理学者・志賀重昴のコレクションや三河地方の考古資料などを随時紹介しています。
藤川の松並木
約1kmの間にクロマツ約90本がそそり立ち、往時の旅の風情を漂わせています。この松並木は昭和38年に市の天然記念物に指定され、中には根まわり約2m・高さ約30mという巨木もあります。
東棒鼻
宿場の東の入口を示したもので、江戸時代の浮世絵師・歌川広重が東海道五十三次の中で描いた藤川の宿も「棒鼻」でした。昔も今も、藤川の象徴となっています。
高札
高札は掟や決まりを記して交通の多い市場や辻などに掲げた板札のことで、藤川宿には8枚あったようです。現在残っているのは6枚で、そのうち3枚が藤川宿資料館に展示されています
芭蕉の句碑
「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」と松尾芭蕉が藤川の地を詠んだ俳句の碑があります。また、この句にちなんで地元の人々の手でむらさき麦の栽培が再現され、毎年5月中旬には見事に色付き訪れた旅人の目を楽しませてくれます。
藤川宿脇本陣跡
脇本陣とは、江戸時代に本陣の予備として建てられた宿舎のこと。現存する入口の門は江戸時代後期の面影を留め、藤川宿で最も古い遺構と思われます。現在では藤川宿資料館として開放されています。
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